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弁護士 菅原哲朗 資料2


スポーツ施設における賠償事故事例
・・・<判例分析と現場での対応策について>・・・

2009年1月21日
弁護士 菅 原 哲 朗

第1 安心できるスポーツ環境構築の視点

(1) 思わぬ事故やケガを防ぐリスクマネジメントはヒューマン(ひと)・ハード(用具・施設)・ソフト(プログラム)の三つの視点から考えるべきである。
 つまり、安全管理システムを構築するには安全配慮義務を考えねばならない。スポーツがいつ、どこで、誰が、どのような、5W1Hでの「スポーツ環境条件」でなされたのか、常に考察されることになる。
 それとともに、ハード・ソフト・ヒューマン(スポーツ施設・スポーツプログラム・スポーツ人)の観点から、事故が生じたのはスポーツの準備段階、試合などの実施段階、終わった後の段階かの時差別の条件、初心者、体育の授業か、プロ選手の試合か、など教育条件、職業条件も含めたスポーツ主体の条件等が、過失責任を判定するときに考慮される要素となる。 
 スポーツ活動とかかわりをもつ施設・用具、方法、人について安全指導・安全管理を十分に尽くすことが重要である。この安全に関する環境づくりは、選手の自己管理も含めて、つねに配慮することが大切なのである。


☆ 競技者の健康状態を確認する・・・眼の輝き、肌の色、衣服など指導者が確
認するだけでなく、体調を自己管理できるよう教育する。
☆ 用具・施設を安全点検する・・・事前に器具の正しい取り扱いの指導や施設
管理者からの危険情報の入手なども大切である。
☆ 無理のない活動・運動のプログラムが心の余裕をうむ・・・老人か、子ども
かスポーツ参加者の能力に合わせて楽しい計画を立てるべきである。


(2)施設おける安全配慮義務
 例えば全力疾走するグランドは不整地なままの地面であってはならない。柔道場の畳が破れたままではいけない。施設の安全管理で危険が感じられたときは、直ちに修理すべきであり、修理されないときは、その場所でのスポーツ活動は中止されるべきである。体育館の破損した危険な場所を注意して運動しなさい、という注意指示のみでは不十分である。
判例(福岡小倉地判昭59年1月17判例時報1122号142頁)はグランドの設置管理者たる高校校長に事故発生防止のための人的物的体制を確立し、これを実行する注意義務を怠ったとして福岡県の責任を認めた。この事件は、事故以前に狭いグランドで野球部の打球が再三にわたり練習中の他のクラブ生徒に当たっていた具体的危険性を知りつつ対策をたてなかった責任が問われたのである。


第2 スポーツ施設の安全管理と法的責任について


1 法律用語の概念について


(1)定義・・・「スポ−ツ事故」
スポーツが社会活動の一分野である以上、スポ−ツ活動と事故は、我々の社会・自然・歴史と関連して把握すべきである。事故とは、そもそも社会の仕組みの中で安全な営みを阻害する予期せぬ突発的な出来事・事件であり、人為的・偶発的という異常事態の結果、人や物に損害を発生させることだ。したがって、スポ−ツ活動をなす過程において突然に発生する異常な事態を「スポ−ツ事故」という。


(2)定義・・・「スポーツ事故の危機管理・リスクマネジメント」
 リスクマネジメントという言葉には明確な定義はない。それだけ広範な概念と言えよう。狭義の定義としては「危機管理手法」つまり、リスク(危機)を上手にコントロール(支配管理)するスキル(技術)として想定される。
 その内容をより噛み砕くと
@ 将来生じるかもしれない事故・紛争やトラブル等不幸な事態によってもたらされる精神的・経済的損失を未然に回避する手法
A 危機を回避出来ないまでも、次善の策として被害の拡大を防止し、軽減する手法
B さらに既に発生してしまった事故・紛争やトラブルについて、最も有効かつ効率的な対処をなす手法である。
 この手法をスポーツ活動の場面における事故に当てはめると、まず安易で消極的な安全対策は、危険から逃れることであり、「内在する危険」をもつスポーツ自体を辞めればよいことになる。しかし、これではスポーツを望みながらスポーツを拒否する自己矛盾となる。そこでスポーツを楽しむ積極的な安全対策は、スポーツに危険がともなう限り、完全な事故防止は不可能であるという現実に立脚することだ。
 スポーツ指導者の視点に立てば、スポーツ競技参加者の心と身体の状態を把握し、危険を予知し、いかにすれば事故の発生を少なく、事故の被害を小さく出来るか、とのリスクに立ち向かう実践的なリスクマネジメント指導法から安心できる安全対策が生まれるのである。


(3)「How to do」(如何にすべきか?)
@ 発生前の危機管理・・・いかに事件や事故に巻き込まれないか。スポ−ツ人の能力として、無知・無理解の熱中症と言われるように漫然とした怪我と弁当は自分持ちという経験則ではなく、危機予知能力・危機回避能力を身につける必要がある。
 スポーツの危険を回避する知恵が「安全のためのスポーツルール」の徹底(サッカーはボールを蹴るのであって、相手の足を蹴るのではない)である。スポ−ツの特徴(スポ−ツに内在する危険)と危機発生を当然とする「逆転の発想」が事前の準備と事故発生時の的確な対応を生む。
A 発生時のリスクコントロ−ル・・・まずは事故・事件の被害が拡大することを防止し、リスクの除去と軽減(例えば、応急措置・救急医療を施す)を目標にする。ポイントはリスクをいかに出来るだけ短い時間と少ない労力・費用でコントロールし、被害を回復するか、である。もちろん、損害保険・傷害保険の活用などスポ−ツ保険も有用である。 


2 免責同意書に関する裁判での争点


(1)免責同意書面(アメリカでは「ウエーバフォーム」と言われる)とは被害者側に法的責任を押しつけようというパターンである。スポーツビジネスを展開する上で、自分の不利益を契約相手にかぶせて自分の損害賠償責任の免責を図り、あるいは自分の法的責任を軽くして相手の権利を制限できれば利益が上がることは確実である。しかし、結論を言えば「免責同意書」は民法90条の公序良俗違反で無効である。


(2)民事訴訟について
@ 民事訴訟とは何か?
 民事訴訟とは、個人や私企業など社会生活における私人間の法律関係(売買契約・賃貸借契約などの権利義務の関係)に関する利害の衝突・紛争を、国家裁判権の行使によって民法や商法など法律に基づいて強制的に解決する手続きである。
 裁判は国家機関としての裁判所が、国家権力の発動としてその民事紛争を解決することである。自己の権利が侵害されたと考える個人が存在する。その私人が私法が認めた法的地位の確保をしようとするならば、自ら原告として裁判を提訴し、証拠を提出して裁判所を納得させる必要がある。
 民事訴訟法は原告と被告が対等・平等に主張・立証を尽くさせる手続き(自分の言い分を十分にかつ無駄なく言えるプロセス)を定めた法律である。裁判官は当事者が提出した証拠を前提に、民法や国家賠償法などの法を適用して判決を下す。損害賠償金が認容された判決に任意に従わない場合は、原告は被告に対し判決を債務名義として強制執行でき、預金や不動産を差し押さえ取得できる。


A 不法行為責任と「安全配慮義務」
 スポーツに内在する不可避的な危険が顕在化しないために、つまり「事故防止」「安全対策」のためには、どのような注意義務をスポーツに参加する者に要求するかが過失責任の問題である。民法の財産法分野では善良な管理者としての注意義務という概念があるが、スポーツ事故における過失の内容としては「安全配慮義務」という注意義務が論じられる。そして、その過失の具体的内容を判例は安全配慮義務違反として判断してきた。
 「安全配慮義務」とは、一般的に「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務である」と定義づけられ「その内容は、当該法律関係の性質、当事者の地位及び安全配慮義務が問題となる具体的状況によって決せられる」と判例は言う。
 スポーツが危険である限り、スポーツ指導者は、スポーツ参加者が安全に競技が出来るように配慮をし、救助をすべき事態が発生したら直ちに救助しなければ法的責任が問われるという義務を負っているのである。しかも安全配慮義務の具体的内容は判例の通り、スポーツ参加者の自己責任を前提としつつも様々であり、一義的に判断できないのである。  
 つまり、裁判の場では「安全配慮義務」という注意義務を尽くしたか否かが、過失責任の基礎であり、事故発生に至る過程のなかで問われることになる。もちろん、水泳訓練中の海流の異常、暴風雨によるキャンプ場の崩壊、またスポーツ活動をなす個人の特異体質による心臓マヒ等、天災・地変によるまったくの不可抗力のため無過失と認められる場合もある。


B スポーツには違法性がない。
 もちろん、安全に対して秩序を守り、「安全のためのスポーツルール」を守り、注意義務を果たしてスポーツをなすものは、例え危険のある行為(ボクシング・柔道・剣道等)をして他人の権利を侵害しても違法でないのである。またスポーツに参加する者はあらかじめ内在する危険を知って加わるのであり、スポーツから生ずる危険に対して自らの責任において危険を回避すべきという考えが「被害者の承諾」や「危険の引き受け」である。
 詳論するとスポーツ事故の責任に関して法律学では「危険の引受」「許された危険」「被害者の承諾」「社会的相当行為」等として違法性阻却事由が説明される。その理由は、要するにスポーツに参加するもの同士には特別な信頼関係があり、多少のケガが生じても、法がスポーツの世界に介入しない、ということであり、ルールに従ってスポーツをする限り、安全配慮義務を尽したことになり、社会的に正当な行為とみなされ、法的には違法性がないのである。


(3)具体的な判例について
 法的な問題解決を要請されたとき、先例の果たす役割は大きい。担当者は裁判所の判断という権威ある判例をもとに、類似紛争を想定し、問題解決の手掛かりとする。
 判例とは裁判所が判決の理由の中で示した法律的判断である。紛争に際して勝ち負けの判決に至る結論の根拠となった法律的判断が、「将来の予測」として当事者に紛争解決の帰趨を決めるといってよい。


第3 施設事故と損害賠償事例


(1)学校プール施設の管理責任
(最高裁昭和56年7月16日判決:判例時報1016号59頁)
 幼児が転落死した事故で学校プールの設置管理に瑕疵があると認める。3歳7ケ月の幼児が児童公園に面して設置してあった市立小学校のプールに忍び返しの付いていない高さ約1.8メートルの金網フェンスを乗り越え転落死した。金網フェンスの構造及び学校プールの場所的環境が重視された。
判決は「小学校敷地内にある本件プールとその南側に隣接して存在する児童公園との間はプールの周囲に設置されている金網フェンスで隔てられいるにすぎないが、右フェンスは幼児でも容易に乗り越えることができるような構造であり、他方、児童公園で遊ぶ幼児にとって本件プールは一個の誘惑的存在である・・・当時3歳7ヶ月の幼児であった亡Xがこれを乗り越えて本件プール内に立ち入ったことがその設置管理者であるYの予測を超えた行動であったとすることはできず、結局、本件プールには営造物として通常有すべき安全性に欠けるものがあった」判断した。
 但し、本件では幼児の両親にも監護上の注意義務違反ありとして3分の2を過失相殺して請求金額の3分の1を認容した。


  < 過失相殺 >
  過失相殺(カシツソウサイ:民法722条2項)とは被害者側に過失があった
  とき、民事責任による損害賠償額から裁判官の判断によって一定額を「被害者
  の責任負担部分」と認めて減額し、損害の公平な負担を図ろうとするものであ
  る。そして、被害者の過失とは「被害者側」を意味し、父母の過失によって賠
  償額を一部控除された判例もある。
  また、民事訴訟の場では、裁判の進行にともなって裁判官から和解の勧告が出
  される。判決では金銭賠償を命じる主文だけである。和解条項ならば金銭賠償
  だけでなく、融通性があり被告から謝罪の言葉を込めた文書をも獲得できる可
  能性もありうる。他方、特に気をつける点は過失事件の場合、刑事裁判と異な
  り、民事裁判では当事者間の公平の観点から「過失相殺」をされることが多く
  あることである。もちろん被告は当然、過失相殺の抗弁を提出する。


(2)無料の水泳教室での事故
 (浦和地裁昭和60年7月19日判決:判例時報1167号81頁)
 県と市の教育委員会が共同開催した無料の「泳げない人の水泳教室」に参加した39歳の主婦が溺死した事故である。この水泳教室の講師は、日本水泳連盟公認指導員、日本赤十字社水上安全法救助員の資格を有する者2名、体育指導委員4名が指導監視員として県と市の担当職員が計画実施した。スポーツ指導者が公務員としての身分があるので、まさに国家賠償法1条1項による損害賠償責任の有無が問題となった。本事件では健康診断の実施義務の有無(なお、判例は主催者として健康診断を実施すべき義務はない、と判断した)とともに人員の配置と物的設備の内容が争点の一つとなり、判例は「泳げない人を対象とする水泳教室を実施するにあたっては、この種の教室にふさわしい知識、経験、能力を有する者を講師、指導者とし、また適切な人数の監視員を配置することが参加者の安全を確保するために肝要であり」しかし、本事件では講師および指導監視員の前記資格・経験から満たされていると原告の請求を棄却した。
昭和51年8月8日、主婦B(38歳)は、県教育委員会および市教育委員会が市立小学校プールで共同で主催した「泳げない人の水泳教室」に参加した。水没するに際し、Bが異常に激しい水しぶきを上げても、もがいたり助けを求めたりした形跡はなく、沈むところを目撃した人はいなかった。水中に沈んでいるところを発見され、指導員らによって引き揚げられ人工呼吸を受けたが、死亡した。
 遺族らは、事故は主催者の注意義務違反によるものであるとして、県および市に対して損害賠償訴訟を提起したが、浦和地裁は注意義務違反はなかったとして、請求棄却の判決をした。
 判決は「講師らが練習開始前に毎回健康状態および水泳練習についての注意を与え、本件事故当日も、Bを含む受講者全員に対し、健康状態の悪い人はプールに入らないように、またプールに入っていて気分が悪くなった場合には直ちにプールから上がるように注意していた」「本件のような地方公共団体による無料の、しかも18歳以上の社会人を対象とする自由参加の水泳教室において、主催者ないし担当職員、指導監視員に健康診断等を実施する義務があるということができない」「直ちにBを水中から引き揚げ、迅速に人工呼吸、心臓マッサージを施し、救急車および医師の手配を遅滞なく行っているのであるから、発見救助体制の点で、講師らおよび担当職員に過失があったものとは認められない」と判断した。


(3)スポーツ倶楽部での事故
(東京地裁平成9年2月13日判決:判例時報1627ー129)
<概要>
被告はスポーツ施設を所有し管理する東京都23区内の民間のスポーツクラブである。原告はこのクラブの正会員で、55歳の女性・毛染めのインストラクター、会社社員である。
 平成4年8月21日、1階プールの水中体操に参加した女性会員が、二階ロッカールームへ行くべく、曲がったフローリングの廊下の水たまりに足を滑らせて転倒して、左腕の骨を骨折した事件で、原告は左手関節正常可動領域約2分の1の後遺障害12級6号を負ったので、スポーツ施設所有者たる会社には民法717条に安全管理義務がありながら、施設の欠陥があったと訴えた。
 スポーツ倶楽部を経営管理する会社は、入会時に「会則で免責の特約」があると抗弁したが、裁判所は免責規定の適用外として322万円の損害賠償を認めた。ただし、被告にも廊下の水を避けるべき義務あり・過失ありとして、「過失相殺」4割して賠償金額を減額した。
@ 判決は「本件規定は、『本クラブの利用に際して、会員本人または第三者に生じた人的・物的事故については、会社側に重過失のある場合を除き、会社は一切損害賠償の責を負わないものとする。』旨定めているのであるから、文言上は本件施設内で被告の軽過失により生じた一切の債務不履行及び不法行為につき被告の損害賠償責任を免除する趣旨であるかのように読む余地が全くないわけではない。
A しかし、一般的、平均的な入会申込者ないし会員にとって予期可能であり、かつ、合理的に理解することができる内容のものとしては、スポーツ活動には危険が伴うから、会員自ら健康管理に留意し、体調不良のときには参加しないようにすべきであること、あるいは本件施設に現金、貴重品を持ち込まないようにすべきであり、持ち込むときには自らの責任において管理すべきであること、したがって、会員自らの判断によりスポーツ活動を行い、あるいは本件施設に現金、貴重品を持ち込んだ結果、身体に不調を来し、あるいは盗難事故に遭ったときには、被告に故意又は重過失のある場合を除き、被告には責任がないこと、以上のように理解するものと考えることができる。
B つまり、入会時の会則という包括的な合意は、被告に一方的に定められた「定型的」(不動文字の定款の如き)なものであること。解釈として「一般的、平均的な入会申込者ないし会員にとって予期可能であり、かつ合理的に理解することができる内容のものとして客観的、画一的に当該条項を判断すべき。
C 会則の内容が、会員資格取得の手続き、スポーツクラブの管理・運営(高額の金銭はフロントなり・貴重品ロッカーに収納する、禁煙・喫煙エリヤの制限・携帯電話の使用不可など)は公序良俗に反しない限り合理性は認められる。
D つまり、社会通念上、普通の知識、経験を有する成年の男女がスポーツ活動を行う場合には、スポーツ活動そのものに伴う危険については、通常予測される範囲において、スポーツ活動を行う者がこれを自ら引き受けてスポーツ活動を行うものと考えられているのであり、本件規定は、このような社会通念を踏まえて、スポーツ施設を利用する者の自己責任に帰するものとして考えられていることについて、事故が発生しても、被告に故意又は重過失のある場合を除き、被告に責任がないことを確認する趣旨のものと解するのが相当である。
E 本件施設の設置又は保存の瑕疵により事故が発生した場合の被告の損害賠償責任は、スポーツ施設を利用する者の「自己責任に帰する領域」(自らモップで水たまりを無くすように掃除をする施設管理義務など)のものではなく、もともと被告の故意又は過失を責任原因とするのではないから、本件規定の対象外であることが明らかであるといわなければならない。」と判断した。
<<原則:「免責同意書を無効」というスキューバダイビングの事故の判決>>
 東京地方裁判所平成13年6月20日判決は、スキューバダイビングの事故で水面を泳いで移動中に溺れ重度の障害を受けた事件である。
 「人間の生命・身体のような極めて重大な法益に関し、免責同意者が被免責者に対する一切の責任追求を予め放棄するという内容の前記免責条項は、被告等に一方的に有利なもので、原告と被告会社の契約の性質をもってこれを正当視できるものではなく、社会通念上もその合理性を到底認め難いものであるから、人間の生命・身体に対する危害の発生について、免責同意者が被免責者の故意、過失に関わりなく一切の請求権を予め放棄するという内容の免責条項は、少なくともその限度で公序良俗に反し、無効である」と判断した。


第4 工作物・営造物責任・・・通常有すべき安全性


 スポーツ体育施設で事故が発生したとき、「物の管理」と「人の管理」の両面から安全配慮義務が尽くされていたかがチェックされる。


1  民法717条 ・国家賠償法2条1項・・・・安全に対して物の不完全・欠陥による事故として「工作物責任」「営造物責任」に基づく問題として損害賠償責任が問われる。
つまり公務員等の人の過失と関係なく施設そのものの管理者の責任を問うのである。事故に因って被害を受けた者の立場から見ると、体育施設の設置管理・保存に安全性を欠いていたことの立証責任は被害者側にあるがなかなか立証は難しく、訴訟を考えた場合に施設管理者の責任を追求したほうが無過失責任なので提訴しやすい。かつ担当の公務員の過失責任を通じて間接的に追求するよりも、行政当局の責任を直接に追求できるメッリトがある。
 判例・通説は法的責任について民法717条「工作物責任」と国家賠償法2条1項「営造物責任」はその規定する内容が同じと考える。つまり、この営造物責任は、公権力の行使の関係でなく、私法上の責任と考えられており物的施設が国や地方公共団体の設置管理するものか、私人の管理するものかの違いで適用条文が違ってくるに過ぎない。
但し、「営造物」の場合は「土地の工作物」より概念が広く、「動産」も含まれる。体育施設の場合、グランド・プール・サッカーゴールは土地に接着して人工的に加えられた施設なので「土地の工作物」だが、ボールやバットは動産なので含まれない。
 裁判官の対応はある意味で営造物の瑕疵の存否を純粋に客観的に「通常備えるべき安全性」を考えるというより、事故後に回避措置を考えそれが事前になされていれば事故が起こらなかったと考えられるときに営造物に瑕疵なしとしている。


2  民法709、715条・国家賠償法1条1項・・・・例えば教師・管理責任者が故意・過失に因って体育施設を利用する際に事故を発生させた。人の故意・過失責任として体育施設を利用するにあたって安全配慮義務を尽くしたか、どうかがまさに責任問題になるのである。
スポーツはそもそも社会的相当行為なので適法である。しかし、スポーツには内在する危険がある。それ故ルールを守ったスポーツ活動が必要である。「許された危険の法理」は安全に対して秩序を守り注意義務を果たしてスポーツをなすものは、例え危険のある行為(ボクシング・レスリング・柔道・剣道等)をして他人の権利を侵害しても違法でないとの法理論である。またスポーツに参加する者はあらかじめ内在する危険を知って加わるのであり、スポーツから生ずる危険に対して自らの責任において危険を回避すべきという考えが「被害者の承諾」や「危険の引受」の理論である。


 ☆ 大判大正元・12・6・・・「土地の工作物とは建物障壁のように土地に接着
   して築造した設備をいい機械のように工場内に据え付けられたものは含まない」
 ☆ 大判昭和3・6・7・・・「土地の工作物とは土地に接着して人工的に作業を
   為し成立したものをいいコンクリート擁壁もこれに属する」
 ☆ 最判昭和45・8・20(判時600−71)・・・国道上への落石による事
   故につき道路の管理に瑕疵があると認める。「国家賠償法2条1項の営造物の
   設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることを
   いい、これに基づく国および公共団体の賠償責任については、その過失の存在
   を必要としない」「防護柵を設置するとした場合、その費用の額が相当の多額
   にのぼり、県としてその予算措置に困却するであろうことは推察できるが、そ
   れにより直ちに道路の管理の瑕疵によって生じた賠償責任を免れ得ない」


第5 万一事故が発生したときの対応:スポーツリスクマネジメントの要点


1 法律知識の必要性
 スポーツ指導者は指導にあたって、事故防止に万全の配慮をしなければならない。もとよりスポーツに危険が伴う限り、スポーツ指導者が事故に直面することも避けられない。もし、スポーツ指導者が事故に直面した場合、まず、なすべきことは救護である。不幸にして、事故が発生し、重傷者や死亡等重大な結果が生じたら、当然に責任問題が生じ、それが紛争、事件に発展することは、われわれの見聞することである。この場合、事故発生時点での指導者の適切な対処が、その後の問題の円滑な解決に決定的な影響を及ぼすといってよい。それゆえ、事故時における措置およびその後の措置を適切なものとするためには、少なくとも事故の責任についての基礎的な法律知識をもち、法的責任がいかなる場合に発生するかについて、十分に理解しておかなければならない。ただし、事故時とその後の措置の必要性は、法的責任のある場合に限られるものではないことは当然である。
 まず、スポーツ事故によって不法行為責任(民法709条)が発生する要件としては、@故意または過失、 A他人の権利ないし利益を違法に侵害、 B責任能力、 C因果関係の4つの面から検討しなければならない。この4つがそろったときに、加害者に不法行為責任(民法709条)が生ずるのである。


 <紛争に対処する6つの指針>
   @ 人命救助など果たすべきことをまず果たす。
   A 事故の事実関係を把握する。
   B 先例を学ぶ。
   C 説得と論証。
   D 仲間・父母後援会の信頼を得る。
   E 自己の行動に正しいという確信を持つ。


2 免責同意書は無効
ところで、安易で消極的な安全対策は、危険から逃れることであり、内在する危険をもつスポーツを辞めればよいことになってしまう。しかし、スポーツ指導者にとってスポーツを楽しむ積極的な安全対策は、スポーツに危険がともなう限り、完全な事故防止は不可能であるという事実認識に立ち、少年たちの心と身体の状態を把握し、危険を予知(予見可能性)し、いかにすれば事故の発生を少なく、事故の被害を小さく出来る(回避可能性)か、とのリスクに立ち向かう実践的な指導法である。
 その一方で被害者側に法的責任を押しつけようというパターンもある。スポーツビジネスを展開する上で、自分の不利益を契約相手にかぶせて自分の損害賠償責任の免責を図り、あるいは自分の法的責任を軽くして相手の権利を制限できれば利益が上がることは確実である。しかし、免責同意書は民法90条の公序良俗違反で無効である。


<参考判例> プロ競技選手の免責同意書
 富士スピードウェイ(静岡県小山町)で平成10年5月3日、「全日本富士GT選手権決勝」自動車レースにおいて雨中の大事故を起こし、衝突炎上したマシンで全身やけどを負い23回に及ぶ手術を受けたプロドライバー選手(45歳)は主催者側に債務不履行および不法行為に基づき損害賠償請求をなした。
 スポーツ界における主催者の安易な発想は、大会参加者から事前に免責に関する同意書とろうとする動きだ。紙切れ一枚で法的責任がなくなれば便利だ。
 東京地裁は平成15年10月29日判決で、選手の過失相殺を4割と評価し、賠償金額を9000万円余に減額した。しかし、争点である「免責同意書(参加選手が決して競技主催者に損害賠償を請求しない旨の署名捺印、いわば死の誓約書)」をプロのカーレーサーという死に直面するスポーツゲームに参加する選手であっても、一方的に不利益を課し、社会的相当性を欠き、公序良俗に反して無効、と判断して主催者の法的責任を認めた。 東京地裁は、免責の「死の誓約書」は主催者が一方的な優位を背景に誓約書提出を義務付け、誓約書を提出しない選手は自動車レースに参加できないと選別し、選手のレース参加の自由を不当に制約すると認定をした。
 他方、示談は有効だ。いわゆる示談の法律用語は「和解契約」という。「免責同意書」は将来に向けて、万一事故が起こった時にあらゆる責任を負わないということだ。事故前にどういう事故が起こるかわからないまま、一方的に免責文書をとる。署名捺印した人はまさか、死ぬと思って、損害賠償請求権を放棄する気持ちはない。死は予見できない。事故後の示談の場合は、骨折事故の治療費や慰謝料など、損害額がすべて判った段階での解決だ。本来ならば裁判で3年かかって100万円獲得できると理解しつつ譲歩して「80万円でいい」と納得し、現在の紛争を直ちに和解する。これが有効な示談なのである。
 無効な「免責同意書」と有効な「示談書」との違いは事前事後、まさに予見の有無だ。


3 小さな危険と大きな安全
 スポーツ少年団の標語に「小さな危険と大きな安全」という言葉がある。
安全対策をすすめる法リスクマネジメントにおいて一番のポイントは、スポーツ事故というものは絶対に防ぐことができないものだという認識である。スポーツは「小さな危険」をそもそも持っている。その危険を小さな時からコントロールすることによってリスク管理能力を養い「大きな安全」を確保する。ジュニアを指導していくときに、円滑なスキルを磨くことが重要である。筋力トレーニングをいくらやっても意味がない。ボールがきたらボールを避ける、よけそこなったボールが当たると痛い。危険があるのだなということを身体で理解させる。そのテクニックが、ボールを避けて危険を回避するということは、実は大人になった時、ボールが車になる。自動車、火事や、災害を避ける危機回避能力に発展する。「予見可能性」と「回避可能性」を応用して「小さな危険と大きな安全」を啓蒙している。日本スポーツ法学会は「少年スポーツ安全安心フォーラム」を毎年1回共催し、少年スポーツ指導者へ安全管理・安全指導をいかに徹底するか研究討議をしている。もとより骨折ケガというスポーツ事故が発生するため、スポーツの危険が顕在化しないよう「スポーツ法学」だけでなく、「スポーツ医学」および「スポーツ科学」からの提言もなされている。


第6 最後に・・・「危機管理は逆転の発想から」


1 法リスクについて
 生きている限り、人は事故や紛争・トラブルに必ず巻き込まれる。信頼しきった人に裏切られたと知るほど悲しいことはない。社会問題となった振り込み詐欺で若者に騙され老後の貯金を送金した老人、地下鉄駅前の貧者の一燈のボランティア募金活動が中間搾取されている事実、これは誰もが体験する現実だ。
 他人の目から見て順調に人生を送っているように思える人でも、人知れず心の悩みがある。いま自分は幸せだと語る人に、突然不幸が襲ってくる。未来は予測できない以上、どうも人生に、法リスクは憑きモノだ、と割り切るしかない。
 関西大震災・新潟中越地震やバブル崩壊の経済不況など自分の手に負えない出来事ならば、初めから諦めもつく。常識的に窃盗や強盗など常習犯罪者でない限り、誰も積極的に法を犯すリスク負わないものだ。つまり、金銭に関するトラブルなど法リスクは何時も、突然で、受け身で巻き込まれる。この時、ドギマギしても仕方がない。
 何度のお話ししますが、安易で消極的な安全対策は、危険から逃れることであり、不可避的な危険を内在するスポーツを辞めればよいことになる。これではスポーツの楽しみ、有用性を獲得できない。スポーツを楽しむ積極的な安全対策は、スポーツに危険がともなう限り、完全な事故防止は不可能であるという大前提を認識することである。スポーツ参加者の心と身体の状態を把握し、危険を予知(予見可能性)し、いかにすれば事故の発生を少なく、事故の被害を小さく出来る(回避可能性)か、とのリスクに立ち向かう実践的な発想が安全を創りだす。


2 自助努力が道を拓く
 それでは、事前に法リスクに対処できないものだろうか。トラブルは千差万別で同じものはない。確かに臨機応変に変化に対処するしかない。
 しかし、事故や紛争・トラブルには、実は前兆があるのだ。スーパーでの目玉商品289円のハムを買い忘れたと、慌てて買い物袋を置いたまま足早に冷凍売り場に戻った。わずか1、2分の差で2つの買い物袋は無くなった。隣に居た主婦は荷物の管理人ではない。衆人環視のなか置き引きされたのだ。冷静になってみると、重い2つの買い物袋を置いたまま離れる時、盗まれるのではと一瞬不安を感じた。しかし、荷物は重いし、すぐ戻るので「マーいいや」と安易に決めつけたと悔やんだ。社会は日々の連続関係にあり、人間関係が崩れる時には軋みの音が出る。あなたの第六感はすでに、相手の顔つきや態度から、何かおかしいと感じている。いくら性善説に立つあなたでも、相手を盲信してはならない。この危機感を感じたらすぐに安全対策に立ち上がることだ。「マッチ1本火事のもと」小さな火種のうちに消火するのが鍵だからだ。法リスクへの対処も同じだ。裁判を体験したクライアントから話を聞くと皆それぞれ前兆を知り、後からあれが前兆だったと話す。そのときは大火にならないと軽く考えていたのだ。


3 危機管理は逆転の発想から
 真の法治国家は、法秩序により誰でもが守られていることを意味する。法というルールは強者がごり押しをするためにあるのではない。弱者の人権を底上げすることこそ「法の下の平等」の意味だ。日本人は何となく「安全と水」はタダと信じてきた。
@ 「天災は忘れたことにやってくる」・・・事故・トラブルは本来予想できない。常に我が身に振りかかるという意識が大切だ。つまり、スポーツに危険がともなう限り、完璧な事故防止は不可能なのだ。
A 「マッチ一本火事のもと」・・・リスク管理の基本は初期コントロールだ。「初動を制する」ことが被害の拡大を防止する。指差し確認が心と身体の基本。日常的な慣れと危険を感じても「まー、いいや」がミスをうむ。
B 「予見可能性と回避可能性」・・・リスク情報収集のコツは新聞を毎日見ること。他山の石、人の振り見て我が振り直そう。過失とは注意義務違反である。注意義務違反の構造は、予見可能性と回避可能性で成り立っている。
C 「小さな欲が大きな危機をよぶ」・・・嫌な情報ほど第三者に公開する。内部の小さな秘密が外部の不信を拡大させる。身内の恥をオープンに出来る度量が安心をうむ。
D 「危機管理は逆転の発想から」・・・誰でも不幸な事態を考えることは、楽しくない。しかし、リスクマネジメントは、立場を入れ替え、死亡事故・トラブルが発生することを大前提に、逆に安全対策を組み立てることがミスをなくす。


以上


by MLSO