新刊です。

『夫の葬儀とその後事典』という本を共著で出しました。法研からです。なんだかぎょっとするタイトルですが、ほんとぎょっとしますね。前の『親の葬儀とその後事典』は違和感などなく、それに結構版を重ねてます。夫の目の前で読むと本の内容とは別の付加価値が生まれそうで、お勧めの一冊です。

餃子のお店にて

 餃子をウリにした店で餃子を食べた。結構名の通ったチェーン店で、近ごろこの店では餃子一皿と小めしを注文することにしている。餃子定食のようなものもあるのだが、餃子二皿にいろいろ付いてどんぶりご飯となると多すぎて食べきれないのである。お店によって違うのだが、これまで関西の2店舗ではスープのサービスをしてくれた。これくらいがちょうど良く、小食者にはありがたい。
 問題は11月2日のお店である。中央線沿線の初めて入ったお店のことであった。午後3時ころでお店の中は割とすいていた。それは良いとして、注文して1分くらいで持ってこられたのだ。ありゃ?と思った。だって餃子が1分で焼けるわけがないでしょう。亀戸にある『亀戸餃子』という餃子専門店では間断なく餃子を焼いていて、ひっきりなしに入ってくる客の前に注文後即座に餃子を出す。待つことほとんどなく焼きたて餃子が食べられるのある。しかしこの日入ったのはそういう店ではないし、連続して餃子を焼いている状態でもない。なにしろ店はすいていた。
 いやまあ、おおいにちょっとねえ。焦げすぎは一目見てわかるが、それでも餃子本体がおいしければお焦げの色もそれなりの一興というものだ。しかし、餃子の合わせ目があるでしょう。接着部分。乾燥が進んでいて食べるとゴワゴワであった。意図的にカリッとさせているというようなものではなく、しばらく放置していたかのように餃子の皮が強張ってしまっているのだった。たぶんそういうことなのだろうね。中身は非常に粉っぽく、要するに不味かった。もちろんお焦げに一興もへったくれもなく、つまりは焦げ焦げだ。
 これまでいろいろなお店でご飯を食べてきたが、思い出に残るトップ2はゴキブリ入りの喫茶店ナポリタンとゴキブリ入りの親子丼である。多くは単純に不味いというもので、調理や味付けの腕の善し悪しの問題である。そんな問題を超えて、ゴキブリ入りのような度肝を抜くのが出てきたり、放置餃子の提供のような客を小馬鹿にした店に出会うと、不思議と腹なんて立たず、むしろ自慢したくなるほどうれしい。パックパッカーが安宿自慢をするようなものか。

価格設定の妙

これはかなり珍しい価格設定ではないだろうか。一から手作りするのであればかつ丼のほうが親子丼よりも相当に手間がかかる。以前、ざるそばよりも値段の高いもりそばを見たことがあったが、おもしろおかしくてつい笑ってしまった。
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昨日の『花子とアン』

 昨日の『花子とアン』。路上で立ち話をする花子たちの上を飛行機が飛んで行くシーンがあった。飛行機そのものは画面に出てこなくて、頭上の爆音に気づいた花子たちが空を見上げていると、機影がその上を動いていくという場面。
 でもあの爆音、あのキーンとした音はジェットエンジンじゃないか?そして過ぎていく機影だが、いくら当時の飛行機が牧歌的なスピードしか出ない複葉機といっても、あれはちょっと遅すぎないか。花子たちの上をゆっくりゆっくり通り過ぎて行った。

国会でもセクハラヤジ

 ネット情報(時事通信)にこんなことが書いてあった。「日本維新の会の上西小百合衆院議員は4日午後、大阪市内で記者団に対し、衆院総務委員会でセクハラに当たるやじを受けた問題で、自民党の大西英男衆院議員から「ご迷惑をお掛けし、申し訳なかった」と謝罪の電話があったことを明らかにした。上西氏は謝罪を受け入れる考えを示した。」
 謝罪を受け入れる? 問題は両者間の個人的なレベルのことか?
 セクハラヤジは国権の最高機関たる国会の衆議院総務委員会というオオヤケ中のオオヤケの場で公然とおこなわれたのであって、国民代表という立場で出席した大西英男議員が国民代表という立場で公然とおこなったヤジである。つまり責任あるヤジだ。大西英男議員の国会議員としての資質や責任が問われて当然のヤジである。ヤジられた上西小百合議員との個人間での問題ではないのだから、上西小百合議員が謝罪を受け入れるかどうかなど大西英男議員の資質の問題や責任の消長とは無関係であろう。たとえて言えば、上西小百合議員の個人的法益が侵害されたのではなく、全ての女性や現在の人権秩序という国家的法益および社会的法益が公の場で侵害されたのである。
 都議会でのセクハラヤジの取り上げかたも同じであるが、問題を個人間のトラブルに矮小化してはならなかろう。塩、、、なんとかという議員のタレント?時代の言動をあげつらってどっちもどっち的な問題に解消しようとする人権蹂躙マスコミの動きがあるようだが、卑劣きわまりない手口である。しかも、だ。NHKをはじめとする最近の失言先生の言い訳の仕方を借りてごらんなさいよ。そんなもん、「私人としての発言です」、「撤回します」で済んじゃう程度の発言じゃわ。
 それはともかく、大西英男という国会議員が国会という公の場でおこなった国家的社会的法益侵害ヤジついてどう責任をとろうとするのか、二〇世紀の人権感覚に追いつけない国会議員のこのような振る舞いについて国会自体がどう対応するのか、見物じゃわ。

人材拒絶の法科大学院

 日経の記事『法科大学院の定員、来春はピークから45%減に』によると、来春の法科大学院の入学定員総数は3175人で、ピーク時の5825人から約45%減となるのだそうだ。74校あった法科大学院は募集停止があいつぎ、来年度に学生募集するのは54校、とも。
 文科省が5月に公表した今春の入学状況では、募集した67校の定員計3809人に対し、入学したのは2272人、入学者が定員を下回ったのは91%に当たる61校で、うち44校は半数に満たなかったんだそうだ。
 弁護士を目指す人材自体がここ数年で急激に減少したのかな。それもあるかもしれない。急増のおかげで弁護士をとりまく経済事情は悪化の一途をたどっており、業界の吸引力も弁護士の魅力も急落したことは考えられるな。「まともに食えないばかりでなく修習期間中の貸与性のために積み上がった借金で首がまわらない」的な報道がじゃんじゃかなされていちゃ、そりゃ敬遠したくもなるよね。敬遠したのは優秀な人材かそれとも優秀でない人材かと問われれば、「両方」と答えるしかないと思う。結果として弁護士という職業を目指す優秀な人材が減ってしまったはずだよね。
 法科大学院それ自体としては何が言えるのかな。<法科大学院へ入学したい>と考えている学生や社会人等の絶対数が減少していることだけは数字上一見あきらかだよね。じゃあ、法科大学院への入学を敬遠したのは優秀な人材かそれとも優秀でない人材かと問えば、やはり「両方」と答えるしかないと思う。裁判官・検察官・弁護士を目指す優秀な人材を法科大学院はみすみす取りこぼしているんじゃないだろうか。自らの経営手腕のなさが自らの経営危機を招いているというだけのことなら勝手だけど、将来の法曹を担う核心たる人材を年を追うごとにますます取り逃がすような機関って、いったい何なのじゃろうか。制度そのものが、「ようこそ法曹の入り口へ」じゃなくて「来ないほうが身のためだよ」と言っているのが現状のような気がする。予備試験は逆に大盛況というんだから、制度として失敗だったことは認めざるを得ないんじゃなかろうか。
 予備試験がどうあれ、合格者激増と法科大学院制度って、今後もずっと維持すべきなのかな。優秀な人材を取りこぼすどころか、両者あいまって積極的に排除するという機能を発揮しているように見えちゃうんじゃねえ。とりわけ法科大学院は、そこに将来の法曹養成という機能が残されているにしても、人材排除的な極めて有害な機能を併せ持っちゃっちゃ、解体ないし解体に類する抜本的な改組をおこなうことが日本国の将来にとって憂いの無い方法じゃないんだろうか。

セクハラヤジの都議会議員を弁護する、か?

 鈴木あきひろとかいう元自民党の都議会議員がセクハラヤジをトばしたということで話題になっている。なにしろご当人「私じゃないですよ。わからないと思いますよ。ヤジなんていちいち聞いてる人いないですから」とインタビューに答えたその数時間後にヤジったのは自分であることを認めたわけで、大ウソついてたとなりゃマスコミの話題にもなるでしょう。なにしろ都議会議員という公職どころか選良というポジションにある人物が卑怯者と後ろ指さされても弁明しようがない態度をとっていたわけで。
 大勢の声に隠れてセクハラヤジはトばせても、一人堂々と弁明するにはビビっちゃう程度の小人物。機会が無かっただ? いくらでもあったろうに。

 それにしてもおもしろかったのは、こいつのための弁護言論。いくつかタイプがあるようで、
1 音声の聴きかたの誤りであり、セクハラヤジは存在しないという発言自体の否認論。しかし音声を良く聴くとやっぱり「おまえが」としか聞こえないということで決着が付いてしまった。そもそも議員ご本人が認めてしまったし、もともと後先のことを考えないコジツケ筋の弁護論だったようだ。逆にヤジの内容自体に注目を集めたという点ではヤブヘビ弁護だった。
 大傑作だったのは、ご本人がヤジを認めているにもかかわらず「そんなふうには聞こえない!」という優秀すぎる人材まで出現したこと。こりゃないわ。ゆがんだ鏡にはゆがんだ像しか映らない。議員ご本人がかわいそうだ。  
2 セクハラヤジ自体から話題をそらして議論を煙に巻く詭弁論。しかしこれは論理性に欠けることが明白で、弁護論者からもあまり相手にされずに終わったようだ。例えば、ヤジの中身にまるで触れることをせず、ヤジの対象になった塩村はこういう人物であるということの強調にひたすら終始する。これって鈴木都議にとって何の弁護にもならないことがまるわかりである反面、こんな弁護にもならないことを陳弁たてまつることで己の頭の悪さもまるわかりになってしまうことから、与する弁護論者はさすがにいなかったみたいだ。
 これのエピゴーネンはいくつか登場したようだ。やっぱり弁護にならないという致命的な欠陥があって先細りに終わってしまったのが惜しまれる。
3 どこかの陰謀論。何かから目をそらさせようとしてマスコミかどこかが陰謀をめぐらせて仕組んだ事件で、ヤジ自体が偽造であるというもの。セクハラどころか大ウソまでつく小心者をいまさら陥れたってしょうがなかろうに。フリーメーソンやユダヤ組織がどうのこうのというトンデモ論に汚染されてるのかな。音声データの存在やご本人の自白があっては何の弁護論にもならない。エンターテインメント性だけが取り柄だった。
4 たいした内容のヤジでもないのだから問題にするほうがおかしいという、ある意味正統派。しかし21世紀現在の人権感覚に欠けることは否めず、加えて海外マスコミからも指弾されるにおよんでめっきり勢いがなくなってしまった。結局、「そのくらいいいじゃないか」といった程度の理解じゃ通用しないということだ。どこかの会社でこんな発言したら今日び当たり前にセクハラ認定されるわけで、要するに時代遅れのおっさんレベルなのだな。海外からの目線に弱いのも困った特徴か。

 この間、企業不祥事にしても政治家の不祥事にしても、つべこべ言い訳して責任逃れを続けることで逆に傷口を拡大してしまっていた。この都議なんてついには海外マスコミからも注目をあびる大江戸出物語の主人公に成り上がってしまった。わたなべなんとかという国会議員のあのみっともない姿、あれが国権の最高機関の構成員だというのだからたまげる。あんなになる前に身を処していたらはるかに良かったろうに。もちろん国民としても早めに引退してもらうのが喜ばしい。
 ところで、このヤジと同時期に「産めないのか」というヤジも聞こえたらしい。都議会自民党は徹底的に調査するのとは正反対の姿勢のようだ。この都議の大ウソをみれば他にもほっかむりしている恥知らず議員がいることは容易に想像できる。こいつや自民党のおかげで世界中の笑いものになるというのは実に名誉なことだ。

八つ当たりレポート

ずいぶん前に書いたレポート。何がテキストだったのか忘れたが、とにかく理解できなくて八つ当たりしたレポート。

*****

 極めて難解な叙述であり、全く理解できなかった。何を言いたいのかてんで判らないのである。したがって、内容に関してあれこれ言うことはできないので、ここではこの「思想」というのに八つ当たってみるよりほかないことになってしまった。
 だいたい、こういう論文調の文書の冒頭に、そこで解明するはずの問題の設定や扱うことになる問題の限定を明記しないで、あるいは結論をあらかじめ述べずに、意図をひた隠すようにして叙述を続けるなど、言語道断である。当該論文以外のところで問題意識を共通にしている読者であれば格別、そうでない読者にとってはまるで判じ物である。しかも、言葉がいちいち難題をふっかけているようだ。構造化?何のことだ。伝統化?何のことだ。
 そもそも日本の思想などということからして何のことかわからない。この列島に居住する人々の共同討議を経たうえでまとめあげられた「思想」なんて、過去にあったろうか。あるわけないとすれば、何をもってそれらの「思想」を「日本の思想」と呼ぶのか。中央政権による列島全体の実効的な支配など鎌倉時代になったって不出来で、それ以後も東国政権の分離衝動が何度となく顕れた。現在の日本国の領土とは異なる範囲に複数の国家が成立する契機はありえたのだし、100年前の日本国の住民にしても、精神的土壌の共有部分など決して多くはない。それなのに、日本の思想?
 思想を云々できる思想家がどれほど存在したのか。世界的に見て江戸時代の識字率は高かったといっても、「思想」などということを操ることができた人口はとるに足らなかろう。明治以降にしてもそうだ。1945年のころの高等教育を受けた人口など、今日とは比べものにならない。その内のさらに一握りの部分が、「思想」云々と接触できる環境にいただけである。そういう狭い世界であれこれされていたのが「日本の思想」。Ⅰの部分は1957年に発表されたらしいが、高度成長以前の「日本」の高等教育事情を知らないのか。
 それにしても思想云々を論じること自体一種「芸」の世界を思わせる。自分たちの間だけで通じる符丁を使ってさも高等なことを言っているように見せて、しめしあわせたように、外部の者の理解などそっちのけの文書を書く。みずから「日本の思想」などと表題をくっつけても、列島居住者のほとんど大部分の日常や意識から遠く離れたところでこねあげられた「思想」である。ひとにぎりの同好の士だけで「なるほど」「いや、だめだ」「構造化されていない!」などとお互いに慰め合っているのだから、まことにこれは「芸」の世界だ。俳句の世界みたいだ。頭巾をかぶって短冊をもって、池の蛙をながめてうんうんうなっているのとどこが違うのか。普通の人である私には何が面白いのかまるで理解できないし、こういう人たちと話をする気にもなれない。まして読むように書かれていない本、この列島に居住する人の「思想」に働きかけようという姿勢がつゆほども見られない文書など、見るだけで脱力感におそわれる。

2002年の重慶訪問

第1信 2002年2月22日

黒澤です。
今,中国は四川省重慶市の,とあるホテルにいます。現地時間で午後10時です。部屋に一人きりです。直轄都市になったため,正しく言うと行政ルート上重慶は四川省に属していません。

まあ,元気です。
名古屋空港では離陸が1時間近く遅れました。午前12時10分から搭乗のはずが,50分になってようやく搭乗できたのでした。中国西南航空というのはいつもこういうものだそうです。おまけに重慶空港に着いてからも30分以上機内に閉じこめられたままでした。ふざけたことに,機内アナウンスは「入管と検疫の係員がまだ来ていないから」だと言ってのけました。それにしても出してくれたってよさそうなものだ,と思ったのでしたが,空港ビルに入るとそんなスペースなどどこにもないことが見てとれましたから,こんな中途半端なところに出されてただ待っているのもごめんです。
飛行機の窓から雨模様の外を見ると,タラップの横に機内掃除のスタッフが10名くらい整列しました。掃除の制服を着た人たちが手に手にホウキやらポリバケツやら小型のモップなんかを持って隊列を組んでいるのです。ボディーをふき掃除するわけではないから,明らかに機内清掃でしょう。でも,かえって汚れるんじゃないでしょうか。そんな気がします。

機内食のことを書きます。機内食を配りに来た連中の問いにこたえて,窓側に座った加藤先生はパン,隣の私はご飯,稲田先生はライスと言って頼んだのでした。食べ始めてふと加藤先生を見ると,私と同じものを食べている。「どうしたんですか?」と聞くと,「こういうのが来たんだよねえ」とひとこと悲しそうにつぶやきました。稲田先生を見ると,食べているのはソバでした。まあ,機内食など電子レンジで温めるジャンク食料なのだからどうでもいいのだけれど,すごく熱いご飯のその横に冷え切った煮物があるというのはどういう芸当なのでしょうか。

重慶では李さんが出迎えてくれました。この人が通訳です。大阪弁・名古屋弁・共通語を自在に通訳してしまうという,かなりの芸達者です。

さて,空港から30分くらいかかって重慶市内に入って行ったのですが,街の姿は靄の向こうに暗くぼんやりと見えるだけで,全体をはっきり見ることはなかなかできません。市街地へ入ってからはさすがにびっくりしました。これはまたどうでしょうか,ポキッと折れてしまいそうな高層ビルがたくさん建っている。『大純情君』というマンガがあったけど,そこにでてくる都市みたいな感じです。台北の不安定な高層マンション以上の奇観です。香港の高層ビルを遠くから眺めているようでもあり,しかしその高層ビル群がかなりの急斜面に立っているため非常に不安定な感じがするのです。
気づかないうちに高速道路から降りてしまいました。かなり広い道路をそのまま走って,トンネルをいくつか抜けて,揚子江にかかる大きな橋を渡りました。そのあともう一度トンネルをくぐるとホテルに着きます。

入ったホテルは,つまり私が今いるホテルですが,「ホリディイン重慶」というところです。わりあいグレードの高いほうのホテルだそうです。部屋はツインのシングルユースです。狭くもなく広くもない。日本のシティホテルに比較すればいいほうかもしれない。9階です。外を眺めても暗くなってしまっていて,もう景色は見えません。電話回線のモジュラージャックもあって,なかなかに進んだホテルのようです。

夕飯はホテルのすぐ前の海鮮料理屋でとりました。どういうわけだか海鮮料理です。ここは内陸都市ですよ?いいんだけど。「海鮮」という部分は自分で食材を選んで注文することができます。可もなく不可もない。ただ,本場四川料理がすごかった。初日だったし,ほどほどにしておこうと辛くない麻婆豆腐を注文したところ,これがいわゆる本場の麻辣(マーラー)で,舌がしびれることはなはだしい。とんがらしの辛さはさほどでもないのですが,山椒のしびれるような辛さが実に強烈です。そのあとの料理の味など全くわからなくなります。山椒の実をかみ潰したところがしびれまくり,そのあと局所的にしょっぱい味が感じられてやたらと唾液が出てきたりします。料理は決してまずいわけではありませんから,別の意味で楽しめます。
小さなお皿で出てきたザーサイも見るからに辛そうでしたが,味が深くておいしかった。
あと,入り口近くに並んでいるサンプルにも驚きました。とんがらしの入った野菜炒めなんて,普通は野菜炒めにとんがらしがせいぜい2本か3本まじっている程度のものだと思うのですが,ここの店のはとんがらし本体が炒めものになっているのです。こんなものいったい誰が食べるんでしょうか?

そこでの李さんの話ですが,上海で売っているブランド品は全てニセモノと思ってよいとのことです。単純な偽ブランドとともに,中国の会社がフランスで現地法人を登記して,メイドインフランスで売るのもあるそうです。また,同じブランドなら中国で売っているものよりも日本で売っているもののほうが良いそうです。検品の厳しさがまるで違うからとのことでした。

ではまた。もう寝ます。

第2信 2002年2月23日

黒澤です。
今,午後9時20分といったところです。昨日書いたメールは送信することができず,さっきになってしまいました。まあしょうがないよ。ここは中国だもん。
モジュラージャックにつないで国際電話をかけて日本国内のアクセスポイントにつなぐのがいちばん手っ取り早いと思ってそうしたのに,ホテルの外線番号すら的中せず,ぜんぜんつながらないのでした。成功したのは菅原先生の助力によります。

今日は重慶市内の視察と若干の名所巡りをしました。急ぎ足だったために路地裏など歩く時間が全然とれず,この点は大きな不満が残りました。
揚子江の橋を渡る小さなワゴン車の窓から重慶の町を初めて眺めます。感想ですが,これまでに行った外国のどことも異なる景観で,都市計画法や建築基準法など見たことも聞いたこともない,といったような都市でした。近代化から取り残された建物群ではなく(そういう部分もありますが),超高層ビルが急傾斜地崩壊危険区域に林立するといった,後先のことなど考えない未来都市なのです。朝早くから煤煙臭がものすごく,長江の対岸など霞んで見えるその向こう側に巨大ビルがたくさん建ち並んでいるのです。ある種,夢のような世界でした。
実際に町に入っていくと,整然とした再開発都市といったものとは案の定正反対で,やっぱり都市計画という発想を超越しきっています。高層ビルがあったかと思うとその横には古めかしいスタイルの建物があり,なおかつ街角には天秤棒の振り分け荷物を担いだ人が歩いていますし,練炭を山積みにした大八車がアウディの横をごろごろ歩いていたりします。天秤棒を手に持って急傾斜の商店街でひまそうにしている男女というのは,買い物宅配便というもので,商店街で買い物をした人に頼まれると,天秤棒に荷物をくっつけて自宅まで運んでくれるという商売です。自転車はほとんど見かけません。重慶は斜面にできた町なのです。
その高層ビルですが,建設途中で放棄されているものが多いのです。現在工事中というのではなくて,工事を中断してかなりの時間が経っているようにしか見えません。どうみても途中放棄です。聞いてみると,中国では資金を全額集めずに着工することが多く,途中で資金が続かなくなったらとりあえず工事をやめてしまい,あとで資金が集まり始めたら工事を再開するらしいのです。

斜面といえば,道の横のガケには横穴がたくさんあって,そこで商売をしている人もたくさんいました。斜面に洞窟があいていて,そこがお店になっているのです。なかには相当奥の深いものもあるようでしたから,もしかすると旧日本軍の重慶爆撃のときの防空壕なのかもしれません。それとも「ヤオトン」?
もう一つ強烈な印象を書いておきます。ここは3000万人以上の人口をかかえる巨大都市です。交通量としては車も人もすごく多い。しかし,信号がほとんど存在しません。四つ角もありません。車の量の割には渋滞がほとんどありません。横断歩道もありません。そういうなか,歩行者は平気で道路を横断します。信号が無いから車の流れはとだえません。それでも歩行者はゆっくりと道路を横断するのです。道の真ん中で立ち止まっている人もあるのですが,特にあわてる様子もなく,ゆっくりと歩いて道路を渡ります。今日,私は一度だけ車道を横断しました。なかなか決心が付きませんでした。自動車が日本の常識を超えたスピードで走ってくるので,とてつもなく怖いのです。
道路はどこもかしこも泥のような埃のような灰色の粉で覆われつくしていました。セメントの粉が一面に降り積もったみたいです。もろに土壌が見えている街ではないので,煤煙とかスモッグとかが降り積もったものなのでしょう。正体は不明です。小雨でもあった後に転んだらたまりません。

日本で普通に見かける格好をしたトラックはまるで見ませんでした。途中で見かけた車はボンネットトラックばっかりです。ボンネットが運転席から前のほうに突き出たタイプの,昔なつかしいやつです。こういうトラックばっかり走っていました。
また,籠を背負っている人もたくさんいました。竹細工の大きなカゴです。日本でも田舎に行くと現役で使われているし,売っていたりもします。
市場にはすごい人だかりがしていて,道ばたの果物屋・本屋・土産物屋・雑貨屋が日本とかけ離れた文化を感じさせます。歩道に箱一つ置いてその前にしゃがみ込んだだけの菓子屋なんて,どうして商売になるのでしょうか。

午前中は,中華人民共和国成立宣言の直後に国民党によって虐殺された中国共産党員が収容されていた留置場の跡を見学しました。『紅岩』という小説の舞台なのだそうです。思い入れの深い案内者で,熱の入った説明をしてくれました。李さんに,「どうして日本人がこんなところに来るんだ」と聞いてきたそうで,それに対して李さんは,「この人たちは普通の日本人と違う。中国史を良く勉強している人たちだ」と答えたそうです。
留置場はどこもかしこも真っ黒に塗られていました。

昼食は四川料理のレストランです。野菜の煮物・魚・鳥のスープ・豆腐の煮物・麺・タニシの辛煮です。タニシはなんかわけのわからないとんがらしその他の夾雑物の中から拾い出し,サザエのようにカラから楊枝で身をほじくり出して食べるという,はなはだ労力を要する食べ物でした。また,麺はきわめて細く,薄味で物足りないものでした。
しかし何をおいても特筆すべきは,ここでの李さんの行動です。客など一人もいない寒々しいレストランの丸テーブルに私たちは席をとりました。ウエイトレスが私たち一人一人の前に白い食器をいくつか並べてさがったあと,李さんはテーブルの上のティッシュでその食器をごしごしと拭きはじめたのです。もしも日本のレストランでこんなことをやったら,店の人はむろんのこと一緒にいる人たちからも顰蹙ものでしょう。で,どうなったかというと,ティッシュは真っ黒になったのでした。私の隣の徳永さんは李さんと行動を共にしていましたが,私はこれらの食器を使わずに料理を食べることにしました。拭くこと自体がめんどくさいからでした。(*)

このレストランへ来る途中の目撃談です。私たちの車の前を走っていたバスが,運転席の横に大きなカゴをぶら下げていたのです。実に妙な光景です。何が入っているのか見てやろうと注目してもわかりません。そのうち坂道で追い越して振り返って見ると,運転席の横ばかりでなく,バスの前側にも大きなカゴをぶら下げていたのでした。本当におおらかな光景です。

そのあと一旦ホテルに帰り,そのあともう一度出かけ,今回の最も重要なテーマである律師事務所への訪問をおこないました。提携契約を締結するためです。とは言っても,これは私の業務に直接関連することではないのであって,私の事務所の先輩弁護士である菅原先生が現在熱を入れている中国関連業務なのです。私はといえば,まあ,今回の重慶行きはおまけみたいなものです。若手を何人も従えてやってきたということになれば,中国の律師事務所に対して少しばかりのハクが付くというわけです。
相手先になった律師事務所は重慶の中心部にあって,立派な高層ビルの上のフロアにあります。100名以上もの律師を擁する重慶一の渉外事務所でもあります。昔は,「**第一事務所」といって,政府系の特権商人のようなところだったようです。ま,あまり良く事情がわからないうちにどうしたわけか提携契約が調印されてしまいました。
窓からの眺めはそんなに良くはなくて,中国特有のごみごみした汗臭さばかりが感じられます。そしてげんなりさせられたのは,エレベーターに乗るのに金を徴収されたことです。どうするんでしょうか,ここに職場のある人は。定期券でもあるのでしょうか。

さて,そのあとはこの律師事務所による我々一行の歓迎の宴です。本当は個人的には重慶の町中を歩き回りたかったのですが,成り行き上いたしかたなくおよばれすることになりました。行き先は重慶一番の火鍋レストランです。「火鍋」というのは勘違いしたしゃぶしゃぶみたいなやつで,コンロの上の沸騰したスープの中に各種の具を入れて食べるというものです。思うところを要約すると次のとおりです。
①火鍋などそんなにうまいものではない。あたりまえのことであって,具を自分で茹でて食べるだけなのだから,最低限の安心感はあるものの,プロの手による本格的な料理などではありえない。
②中国人律師の乾杯の挑戦はモノ次第では受けてたって大丈夫。モノが白酒だと度が強すぎてこれはだめ。しかしビールであればどおってことない。中国のビールの度は3%とちょっと。青島ビールなんて日本向けでは5%くらいあっても,中国国内向けのものは3%程度のもの。2%のこの差は大きい。一息で飲み干してしまってもたいして酔っぱらわない。
③ステージの踊り子さんのダンスは何種もあって,両手を奇妙に交差させる踊りが何とも不思議な魅力がありました。子ども連れの家族で埋まっているレストランで,いいんだろうか,こんなダンスやって。
火鍋をつっついている最中に中国律師が私に向かって「どうだ。一気に飲めるか」なんていう感じで乾杯挑戦をしてきたので,挑戦3回とも軽く飲み干してやりました。中華律師はびっくりしていましたので,「勝った!」という勝利感はなかなかのものです。

第3信 2002年2月24日

黒澤です。
今日24日は成都というところまで高速道路で往復してきました。往復で7時間弱かかりました。成都は四川省の省都で,劉備元徳のお墓のあるところです。まっすぐで広い道がどこまでも途切れることなく続きまくるという,歩いて生活するには嫌なところです。だから,洪水というほどでもないけれど,成都には自転車がたくさん走っています。3輪の自転車タクシーもいっぱい見かけました。

たまたま兵馬俑坑の発掘物の展示会があったので,それを見ました。また劉備元徳のお墓にも行って来ました。後者でガイドをしてくれた女性がたいへんよろしかったことは特に書いておくべきでしょう。くわしくは省略します。

昼食は,成都大飯店という立派なホテルのレストランで,カエルの石焼きやタンタンメンを食べました。前者はどうでもいいけれど,後者はうまかった。日本のものと全く異なり,噂にきいていたとおり汁無しの麺です。小ぶりのお椀に白い中くらいの細さの麺がよそってあって,お椀の下のほうに汁というのかタレというのか,タンタンメンの核心部分が溜まっています。決して辛くはなく,結構なお味です。

ところで高速道路です。かなり凸凹があり,おまけにマイクロバスの運転手がやらたとぶっ飛ばすもんですから(150キロ),噂にきいた中国のジャンピングバスというものを実体験できてとてもうれしい。
もう一つ高速道路でおどろいたのは,堂々と人が歩いていたことです。たぶん近所の農村の人だと思います。ビニール袋を持ったり子ども連れだったり,天秤棒を担いだりした人たちがぶらぶら歩いています。当たり前の話,インターチェンジからインターチェンジまで歩き通すというのではなく,家族で近道をしているのでしょう。見たところ周囲はかなりの散村で,自家用車が普及している気配はありません。あと,自転車も1台走っていました。さすがにロバや牛は歩いていませんでした。もう一つ面白かったのは,高速道路のフェンスに野菜が干してあったことです。あっちにもこっちにも干してありました。のどかな光景です。

この成都行きでもっとも面白かったのは,高速道路から眺めることができた農村風景です。土壌はたぶん劣悪,植生は貧困。雑草すらあまり生えていません。重慶から成都までそういう農村がずっと続いています。全く途絶えません。まあ,のどかと言えばのどかで幸福そうな農村風景ではあります。しょい籠は立派に現役で,牛で耕しているところも見ました。田圃や池にはアヒルがあちこちにいます。
馬の左右に大きな籠をくっつけて荷物を運んでいます。夕方ちかくになっても家族で畑仕事をしていて,子どもも一緒にいろいろ仕事をしていました。同じ中国でも,高速道路の上の世界とは異質です。昭和30年代かそれ以前の感じです。山の頂上付近まで耕作されつくされていて,それでいてたいした収穫があるようにも思えません。かなりの急斜面もそのまま畑になっていますから,耕耘機やトラクターの出現以前の農地です。1台も見ることができませんでした。
農家のほとんどは赤茶けた焼成レンガでできています。その色がそのまま畑や山肌の色でもあります。水田なんて,田圃にはった水がレンガ色でした。農家の前庭まで車が通れる道も無いように見えました。どこまで行っても景色に変化はありません。それにしても三国志時代の軍隊がこんなところを進軍していったのかと思うと,気が遠くなりますね。

それに関連してもう一つ。雨が降ったらどうなるんだろうか。見たところレンガ色の表土がむき出しになっていますし,作物があったとしてもしっとりとした保水力豊かな土壌とはまるで思えませんでしたから,ちょっとの雨でも表流水が溢れる可能性があります。そして,土地の低くなったところや丘陵の間などに,水路・小川・溝・沢といったようなものが見あたらないのです。やっぱり降った雨水が徐々に湧水として湧き出るという土地ではないのかもしれません。となると,雨が降ったらいきなり出水となるのかと考えても,そんな様子もないのですから,要するにもともと雨なんてあまり降らないのかもしれませんね。真偽不明です。

重慶に帰ってきたときには真っ暗でした。この夜もみんなで夕食を食べに行ったのですが,私は勘弁してもらいました。その時間,私一人でホテルから歩きで出かけ,街中を歩いてきました。

ここで中国モノの中で最も気になるトイレ問題を書きます。外国人が宿泊するようなところは大丈夫とのことです。今泊まっているのは「重慶ホリディイン」で,ここはきれいです。しかし,高速道路から降りたところのガソリンスタンドのトイレは従来の中国のトイレそのものでした。暗くて足下がよく見えないようなコンクリート造りの小さな建物へ高木さんと一緒に入っていくと,いきなり,ほとんど仕切の無い場所におっさんがしゃがみこんでいました。なにしろ狭いから,そのおっさんのすぐ目の前で背中を向けて用をたさなければならず,なんだか後ろめたいような気持ちでした。「仕切」はあるのですが,陸上のハードルのよりもふたまわりくらい小さなものがしゃがんだおっさんの横に立っているだけです。つまりは,電線にとまった雀のようにならんでしゃがむことになります。女性用も同じだということです。やっぱりカルチャーショックですねえ。

第4信 2002年2月25日

黒澤です。
今日は数カ所まともな公式訪問をこなしました。
日本領事館・日本貿易振興会・三井住友銀行です。公式の発言部分を紹介しても面白くないと思います。だから省略します。ただ,ジェトロの星さんの話は面白かった。

前2者は「重慶賓館」という成金趣味の高級ホテルの中の迷路を通り抜けた隣のビルにあります。なんでも,トップの領事は重慶が体にあわずに一時帰国していて,もう一人の領事が面会してくれました。話は忘れました。星さんの話というのは,中国人の気質のことから食べ物のこと,もろもろの四方山話まで広がって,ジェトロ本来の業務と関係の無い部分がいちばん面白かった。三井住友銀行は私たちの泊まっているホテルの3階にあります。中国人スタッフが2名いて,重慶市の資料をプリントして待っていてくれました。
昼食は星さんご推薦のマリオットホテルの3階のレストランです。ここのタンタンメンが絶品です。また,星さんのおかげで,ホテルの近所にある日本人のたまり場になっている料理屋を発見することができました。夜はそこで日本料理というのかどう言えばいいのかわからない,日本の日常のおかずのようなおつまみのような料理を食べることができました。料理屋の名前は「横浜」といいます。

暗くなってから高木さんと市内散策をしました。私は前日の夜に一人でホテルの近所をぐるぐるまわったので,少しだけ土地感があります。そこで,わざと暗い通りを通っていかがわしいカラオケ飲み屋のような,一度入ったら二度と出てくることができないんじゃないかというような店の前をとおって,大通りへ出ました。途中の煮物屋台はどう考えても不潔極まりないものです。夜の夜中というのに,屋台には沢山の食材が一面に並べられています。売れ残ること確実で,このあとどうするんでしょう。
一度大通りへ出てしまうともう繁華街です。夜市のような中を通ったりCD屋へ入って1枚7元のCDを買ったりしながらの散策です。1元=16円ですから,CDは安かった。浜崎あゆみと倉木麻衣と数枚の中華アイドルのCDを買いました。(**)
あと,タバコをおみやげに買いました。1箱1元です。つまり16円のタバコです。どんなものなのでしょうか。煙いだけだと思いますが。
夜市はつまらないものばっかりでした。面白かったのは,屋台の下の檻のようなところに小さな子どもが入れられていたことです。閉じこめられているのではなくて,屋台の下のところが遊び場として囲ってあるという表現のほうが正しいと思いますけれど。

そして,私と高木さんは「横浜」のほうに帰ってきたのですが,途中,「横浜」の近くまで来たとき売春屈を発見したのでした。「横浜」の近所で,昼間ちょっと歩いたときには小ぎたない民家に見えた建物です。本当に全く何の?も感じなかったのです。ところが,このとき高木さんと帰ってきたとき,店先の紫や桃色の蛍光灯にちょっとした居間風のスペースが照らされて,こぎたない表にはふさわしくない雰囲気が醸し出されているのです。何か変だなと思って,そういった店舗が並んでいるほうへ歩いていったところ,やはりというべきか,どの店にも,そのスペースには派手なコスチュームの女性が複数名いるのでした。思うに,そのスペースの向こうにどうのこうのする場所があるとも思えませんでしたので,だぶん,連れ出すんではないでしょうか。良くわかりませんけど。
そういえば,高木さんのマッサージ嬢事件はなかなかのものです。2日前の夜,高木さんはマッサージを頼んだのです,ホテルのフロントに。そうしたところ,彼=高木さんが言うには,これまでの経験からして不釣り合いに若くきわどいコスチュームの女性が現れました。最初はうつぶせになってマッサージされていたのですが,そのあと仰向けになるように指示されたかと思ったら,おもむろに普通のマッサージではないような所為を開始したのです。彼はびっくりして,「ジャストマッサージ。マッサージオンリー」とかなんとか言って,とりあえずやめさせたということですが,そのあとのマッサージといったらひどくおざなりで,しかも200元も払わされたと怒っていました。まあ,アジアの南のほうのいくつかの場所では,そういうことがあたりまえにおこなわれているとのことですから,用心するにこしたことはありませんね。

明日帰ります。
(*)帰国後に読んだ本によると,中国茶の作法の一つである「最初の一煎は飲まずに茶碗を温めるのに使ってしまう」というのは,もともとは茶碗を「洗う」という意味だったのだそうです。だったら事前に洗っておいて,一番煎じはちゃんと飲めばいいと思うが。 (**)音跳びがありました。平面性が良好でなく,真ん中の穴もババリだらけ。  

野豚のソーセージ

 京王ストアで買ったあらびきフレンクフルト。「天然の豚腸に詰めて仕上げ」たって書いてあるのだが、「天然の豚腸」って何のことだ? 野豚のことか?

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