パズーとシータとでは、どちらが色白だろうか(再録)

「天空の城ラピュタ」に出てくるロボットには戦闘型と園庭型がある。この間前者のプラモデルを2体、後者を1体作った。前者にはパズーの小さなフィギュアが付属していて、後者にはシータが付いてきた。できあがったら二人をならべてかざるつもりである。
 問題は二人の着色である。ロボットは難しくない。どのみち比較すべき日常的な対象物など無いのだから、艶消しの赤茶とか深緑とかを塗っておけばそれで足りる。しかしパズーとシータは人間なのであって、突拍子もない肌色やサイケな着衣ではまずい。着衣のほうは箱絵その他を参考にすればアニメそのままの雰囲気になるから問題が少ないのだが、肌の色をどうしようかと考えたとき悩みが生じたのだった。パズーの肌はどんな色に着色すればいいのだろうか。シータって色白に着色するべきなのだろうか。二人を並べるからにはこの点きちんとしたいと思ったのだ。
 物事をあまり考えなければ、ジェンダーバイアス?からシータのほうがパズーよりもやや白という塗装になるだろう。しかし、である。アニメの中でシータはヤクをつれてハイジやペーターのように山間の牧草地を歩いていた。親族が亡くなってから牧童のような生活を送っていたはずだ。そうだとすると日焼け著しい山岳少女である。強い紫外線に常時さらされているはずだから、単純に色白な着色ではヘンである。
 パズーはどうか。パズーは鉱山労働者である。年少だから坑内労働はしていないはずで(労働基準法第63条「使用者は、満一八歳に満たない者を坑内で労働させてはならない」)、日がな一日暗い坑内にいるわけではないことは確かだとしても、陽のささない屋内業務に従事する時間はシータよりも長かったはずである。だた、禁止されているのは坑内労働だけだから、採掘された鉱石を取り扱う業務に屋外で従事している可能性はある。この点がはっきりしないと一概には言えないのだが、炎天下でヤクを連れ回すシータよりは陽にさらされることは少なかろう。
 と考えてくると、パズーよりもシータを白目に着色して済ますわけにはいかないことがわかる。この悩みを配偶者に相談したところ、こう応えた。「どっちでもいんじゃない・・・。」

カレーシチューという学校給食と食文化(再録)

 小学校では自校調理の給食で、中学校では給食センターから運ばれてくる給食だった。どちらの時代にもカレーシチューは人気メニューであり続けた。小学校低中学年のころは、給食室の前にあるサンプルケースを午前中の休み時間に見に行くのが楽しみのひとつだった。献立表はもちろん存在したはずだが、字を読むのは苦手だった。残念ながら味は思い出せない。
 中学に入ってからカレーシチューの味が変わったという記憶は無いので、給食センターでも同じような素材と手順で作り続けられていたのだろう。変わった点があるとすれば食べ方だ。中学ではカレーシチューを先割れスプーンを使って単体で食べたり、あるいは食パンなどをカレーシチューに浸しておとなしく食べていた(のだろうと思う)。それにくらべて小学校のころははるかに前衛的だった。コッペパンの胴体に穴を穿ってカレーシチューを流し込んで上のほうから食いつくやつもいた。もちろんだらだらこぼれるのだが、些細なことに頓着しない。コッペの穴に脱脂粉乳を流し込んで食べるやつもいたくらいだ。
 それにしても、あの「カレーシチュー」というのは何だったのか。単に「カレー」と名付けてはいないのだから、作る側にしてみればカレーとは称しがたい何物かであったはずだ。では、「シチュー」とは何か。給食には「シチュー」と名付けられた別の献立もあって、どういうものかというと、クノールか何かの白いシチューに細切れの野菜を多めに入れたようなものだった。ニンジン・タマネギ・ジャガイモ・グリーンピースなんかが入っていたように思う。ただし今のインスタントものよりも油分が少なくて、もっと牛乳っぽくて美味かった。これが「シチュー」で、「カレーシチュー」は要するにこれを薄いカレー味に仕立てたものであろうか。ご飯にかけてもカレーという感じにはならないから、それゆえカレーとは表示できず、「カレーシチュー」と称したのだろうか。
 美味しかったという記憶しかないから、子どものころはそれで満足していたことは確かである。でも、カレーシチューというメニューが現在の大人の世界に存在ないのはなぜか。ミシュランに載るようなレストランに入ったことはないけれど、たぶんそういう店にはカレーシチューは存在しないだろう。ファミレスでも見たことはないし、大学生協の食堂でもない。スーパーで売っているレトルト食品にも無いし、お湯をそそいで3分間というようなインスタントものにもない。コーンクリームシチューなんていうインスタントものはあっても、カレーシチューっていうのは見たことがない。ということは、カレーシチューというのは学校給食にのみ存在する特殊な料理だったのだろうか。いったい誰がこんなものを考え出したのだろう。学校給食の体験者は人口の相当多数を占めるわけだし、ほとんど皆がカレーシチューは美味かったという記憶を持っているはずだ。だとしたら、あれから何十年も活躍しているにもかかわらず市民権を得ていないみたいでかわいそうだ。
 今から思えば、かの大人たちは子どもたちにどういう食文化を育もうとしていたのだろう。今だによくわからない。

カレーうどんのトッピング考(再録)

 カレーうどんを作ろうとする場合,ゆでたうどん玉にレトルトカレーだけをを上からかけてもだめである。カレースパゲティが成立しないというところでも書いたように,太めの麺に対する関係においてカレーは味付けとしてのインパクトが弱いのである。実際にやってみればわかる。だからカレーうどんを成功させるためには,カレーを少々きつめの味付けに調整する必要がでてくる。立ち食いソバ屋のカレーうどんでは,おつゆの存在を当然の前提としてその上にカレーがかかっているから問題は解消されていると言える。
 数年前,四国へ行ったときのことである。丸亀の駅の近所のうどん屋へ入ったところ,「カツカレーうどん」というものがメニューに載っていた。さてこれはどのようなものであろうか。
 どうであったかというと,見た目は普通のカレーうどんであって,驚いたことにカツがどこにも乗っていない。で,うどんを箸でかきまわしてみたところ,実に,おつゆの中に水没しているのであった。で,箸でつまみ出したらどうであったかというと,予感は的中し,ぐずぐずのどろどろであった。つまり,工場かどこかで業務用にこしらえたカツがおつゆの中に浸かっていたわけであって,カツ自体には防水加工が施されているわけでもなんでもなく,ただのまずいカツ。であるから,コロモは水分を吸ってぐずぐずになっているし,しだいしだいに肉から離れてどろどろになりやがって,なんじゃこりゃ,という状態になるのであった。
 立ち食いソバ屋へ行くと,トッピングにコロッケというものがある。これまでに三度コロッケうどんを食べたことがあるのだが,やはりコロッケに特別の工夫がなされているわけではなく,ただのコロッケ。だんだんとぼろぼろに崩れてくる。コロッケにソースをかけて食べるわけではないから味付けはどうしたっておつゆでするしかない。しいかしうどんつゆに浸したコロッケなんて変に水っぽいだけである。コロッケを味噌汁に入れるなんて想像もつかないのと同じく,うどんつゆの中に入れるというのもどうかしている。
 こういうものに比べると,天ぷらうどんに乗っかっているかき揚げはいい。コロモはおつゆを吸ってとろとろになってしまうものの,口当たりの滑らかさとおつゆの味が融合して,それはそれで実においしい。しかしコロッケの崩れたやつはだめだ。おつゆにジャガイモのぼろぼろが混ざり,不愉快にザラつくばかりなのである。
 というわけで,カツカレーうどんやコロッケカレーうどんを作ろうと思うなら,間違ってもおつゆに浸かるような盛りつけかたをしてはならない。しかしそれとても時間の問題であるから,作らないのが最もよい。
 *後日,香川県出身の大学生にカツカレーうどんの話をしたところ,現地ではあれで当たり前ということだった。食文化は極力尊重するとしても,やっぱりなんだか嫌だ。

お弁当とか食歴とか、あれこれ(再録)

 とてつもない猛暑日が続いていたのはいつのことだったか。秋を通りこしてあっと言うまに冬である。これで事務所にお弁当を持って行けるようになった。丁寧に作ってあるとはいえ、やっぱり夏場は不安なのである。カバンに縦に入るスリムなお弁当箱が二つあるから、この冬もかわりばんこに持って行こう。
 それにしても、コンビニのお弁当ってのはどうしてあんなに味がきついのだろう。味が悪いとはあえて言わないが、非常にどぎついと感じる。塩と砂糖の含有量が少ないと傷みやすいとか?傷んではたしかに困るけれど、でもそれ対策だとしたら、「新鮮でないものを店頭で長持ちさせるためなのだから、客は我慢して食え」と無言であれを突きつけられているようで、こんどは気持ちが不愉快だ。
 さらに翻って思い出してみると、学校の給食っていうのはどうだったっけ。美味であったという記憶は無くて、逆の思い出があるだけである。我が中学生生活はいまだ脱脂粉乳の時代だった。ひどかったなあ。脱脂粉乳は論外としても、パンも非道かった。パンというものにも美味しいものがあるということを知ったのは、はるか30歳を越えてからのことであった。
 こんな繰り言を書いてみると、ある意味しあわせな食歴とも言える。「飢え」からはようやく解放されつつあった時代だった。そして最低の味という体験を同世代で共有し、世界最高水準の味を楽しむことのできる現代にまで生きながらえている。生まれてから死ぬまで美味三昧であったとかその逆であったとかではなくて、我々、そんな単調な食環境にくらべて波瀾万丈このうえない激動の食事情体験者なのではあるまいか。
  

どんどん悪くなる残業代ゼロ法案

「労働時間にかかわらず賃金が一定になる働き方をめぐり、政府の産業競争力会議が、対象となる働き手の範囲を見直すことがわかった。当初案は対象に一般社員も加えていたが、「幹部候補」などに限定し、年収の条件を外す。」という報道。残業代ゼロ法案の問題である。こりゃあいいぞ! 「年収の条件を外す」というところが見直しの最大の妙味だ。「幹部候補」要件なんぞ「名ばかり幹部候補」で楽々クリアーだから何の歯止めになんかなるものか。だから年収が低い労働者もひっくるめて残業代はゼロにできる。非正規雇用が増加の一途をたどる現実に加え、正社員ですら低賃金長時間労働か。少子化に歯止めはかからんわな。それでいて法人税は世界一企業活動がしやすくなるまで下げるというんだから、タックスヘイブン化は目と鼻の先だ。政治的権利を奪われたうえ貧困にあえぐ自国民を尻目に一握りの資本とその担い手だけがまともに生きていける。こりゃあいいぞ。一握りに入りたいもんだわ。

三伏峠小屋の乾燥室

三伏峠小屋の乾燥室                2000.8.6

 塩見岳からの下りのことです。塩見小屋と三伏峠小屋の中間くらいのところで大雨になりました。おおむね下りでしたからそれほど往生したわけではありませんが、ゴアテックスのレインウェアを着ていてもやっぱり蒸れたり湿ってきたりしますし、胸元からの浸水も完全には阻止できません。ザックカバーはかぶせてありましたが、結局は背中側からザックの裏へ雨水がまわることまでは防ぎようがありません。登山靴はなんとか防水性を保っているものの、なんだかつま先のほうから冷たく感じてきたりしました。両手にはトライアル競技用のグローブをしていましたからグリップ性という点では万全です。でも防水という考慮は全くなされていませんから、結局はずぶぬれです。
 三伏峠直前のかなりきつい下り道はミニU字谷みたいな感じで水流にえぐられています。そこを勢いよく雨水が流れていきます。所々に露出している岩は大雨に表面を洗われてしまったためでしょうか、妙に滑らないのがおもしろいところです。
 三伏峠小屋に着いたのは午後4時20分ころでした。もちろん雨はやんでなんかいません。で、小屋泊まりに決めました。ものすごくくたびれていましたし、この大雨の中でテントを張るのはものすごく嫌でしたし、だいいち三伏峠小屋のところの幕営地には既にぎゅう詰めにテントが設営されていて、このあとどこかに移動して幕営するなんてごめんです。
 その三伏峠小屋は、新しくて広いという点は良いとしても(一昨年、玄関にちょっとだけ入ったときには、材木の臭いがばかにきつくて、こんなところで一晩過ごすのは絶対にいやだと感じました)、各自に割り当てられるスペースは小さな布団一枚です。あとで判明した事情によると、倍以上の面積の空き部屋というか空きスペースが誰にも使われないまま朝まで存在したのですが、まあこんなものでしょう。
 割り当てられた自分のスペースを確認して、濡れたものを取り替えて、さて、濡れた荷物濡れていない荷物その他を翌朝までどこに置くかが問題です。そんなスペースなどどこにも無いのです。南アルプスの人気コースの山小屋であればどこも同じでしょうから、荷物置き場が無いことは耐えられないほど不満であるわけではありません。下の階の大部分が未使用スペースであるというのは少々不満であっても、山小屋の経営者というのはえてして客サービスなど考えたこともない連中ですから、いまさら何を言ってもしかたがないし、そういう広大な未使用スペースも緊急時には有効利用されるに違いないと信じて、すなおな登山者になりきることにしたのでした。だから山小屋は嫌いなのです。重くても狭くても背中がゴツゴツして熟睡できなくても、テント泊が最高なのです。

 その三伏峠小屋に、「乾燥室」というものがあって、小屋の受付のおにいちゃんに教えられて斜め前のドアを開けてみると、なるほど8畳間くらいのところに沢山の衣類がハンガーにぶら下がっています。ここを利用しない理由はありません。乾燥室となれば、濡れたもの何でもかんでも、濡れたザックでもレインウェアでもシャツでも、ここにぶら下げれば乾くわけです。しかもほとんど存在しない個人荷物の置き場も心配しないですむわけです。
 そこで、いろんなものを乾燥室に持ち込みました。ザックをはじめ、個人の布団のそばに置いておくのがわずらわしいものは全て持ち込んでしまいました。ハンガーを確保したりブツを動かしたり、面倒ではあったけれど、やりがいはおおいにありました。

 ところが、この「乾燥室」なるものは、実は本当に間の抜けたものだったのでした。実は乾燥室に最初入った時点で危惧感はもったのです。これでいいのだろうか、大丈夫なのだろうか、何かおかしいいのではないだろうか。直感的にも変だし、物理学的にも理にかなっていないのではないだろうか。
 というのは、こういうことです。この乾燥室は、8畳間くらいの横長の部屋で、長辺は木造の壁、短辺の一方は入り口、短辺の他方はガラス窓になっています。換気機能をもった造作は何ひとつ無く、乾燥のための設備らしいものといったら家庭用の大型石油ストーブが1台あるだけです。これがハードであるとして、問題はソフトです。どうやって乾燥させるかです。実に、この乾燥室では、唯一の窓を堅く閉ざし、入り口も原則締め切りとし、その中で石油ストーブを思いっきりガンガン焚いていたのです。
 最初に抱いた危惧の根拠もここにあります。なにしろ、この部屋に入った瞬間、熱を帯びた湿気に正面からムワッと襲われたのです。本当に不快でした。中でハンガーを探していてもメガネは曇るし、息苦しくさえなってきます。雨が降り続ける外の三伏峠よりも、湿度はあきらかに高い。こんな「乾燥室」で、濡れたものが乾くのでしょうか。
 
 やっぱりこの「乾燥室」は大馬鹿三太郎でした。当たり前です。石油ストーブでいくら室温を高くしたって、部屋を閉め切ってしまったのでは湿気は逃げません。乾燥させるということの問題の焦点は、濡れたものから水分をいかに早く蒸発させるかです。小学生でもわかることです。その場合、乾燥室は必ずしも室温を高くする必要はなく、要は、どんどん水分が蒸発するように湿度を下げに下げることです。このことがまるで理解されていない。乾燥室を密閉したうえでどんなに室温を高くしたって、部屋の空気がむしむしするだけであって、湿度100パーセントじゃあモノが乾くわけがないじゃないですか。

 それでも、荷物置き場に不自由したため、乾燥室にはお世話になりました。もちろん、翌朝になっても乾きゃしません。湿ったままの衣類をぐったりした気分で取り込みながら、この小屋の若い人たちのモノの見方考え方をあれこれと想像していたのでした。
 かえすがえす、小中学校での教育は重要なのだと思いました。教員養成系の教育学部を出ていながら教職に就くことなく山小屋のこういう若い人たちを漫然放置してしまった自分をつくづく反省してみるのでした。

*傑作なのは、この乾燥室につるしたものを朝方取り込みに来たおばちゃんでした。「乾いてないわねえ。変ねえ?」などと、この「乾燥室」を信頼しきっているのです。

中国のカレー粉は本当にカレー粉か?

 所用で中国へ行ったりした。かの地のカレーはどういうものであろうかというと,少なくとも自分で歩いた上海・杭州・北京・大連・長春・瀋陽・重慶・西安・成都・広州の街中ではカレー専門店には気づかなかった。外食としてはあんまり一般的ではないのだろうか。ただ,「吉野家」なんかは多数中国に出店していて,牛丼一筋であるはずなのにどういうわけかカレー定食みたいなものも出している。店の前に掲げてあるメニューを見ただけで食べてはいない。誰か体験してみてもらいたいと思う。例の狂牛病以前には日本国内で日本人相手にすら出していなかったカレーを,中国で中国人相手に出しているという事実をどう味わうか,である。たしかバルチックカレーもココイチも中国出店していたと思うので,散歩の際にでも見つけたら食べてみてほしい。
 こういうわけで,あまりポピュラーじゃないんじゃないかということだけしか中国のカレー事情はわからないのだが,2点書いておこう。1点はレトルトカレーのことである。上海のスーパーで「雅子カレー」という名前のレトルトカレーを見つけてお土産に買って帰った。パッケージは日本でよくみかけるレトルト類と同じ。で,そのお味であるが,うまくなかった。味と香りが薄すぎるのである。ご飯にかけた状態は日本国内のレトルトカレーよりもやや色が薄め=透き通っているかなという印象。食べてみると色が薄めで透き通っているという心配はそのとおりであることがわかり,味も香りも薄いのである。つまり水っぽい。ウスターソースと唐辛子をかけて食べたくなる。
 第2に,買って帰ったカレー粉である。上海のスーパーで透明の袋入りのカレー粉を見つけたのだ。日本国内のスーパーでもありますよね。ヱスビーの赤い缶に入ったカレー粉ではなくて,袋に入ったやつとか,その他いろいろ。透明袋に入ったその粉カレーはなんだか色が暗くて,名も知らない複雑なスパイスがブレンドしてあると信じ込むには十分な雰囲気だった。しかも安い。なので大袋を一つ買って帰ったのだ。オチは見えていると思うけれど,そのとおりまるでだめ。家に帰って袋を開けて缶に移そうとしたところ,香りはなんとなくカレーっぽくはある。でもあまりにもほのかすぎるし,なんだかへんだ。後日いつもの通りにカレーを作ってみたところ,何の味も香りもしやしない。いくら投入しても,実にカレーにならないのだった。じゃあ,あのカレーのような黄色い粉は一体なんだったのだ。この間の経験からして中国の食品にはある種の不安が常に付きまとうが,そういうものだったのだろうか。おがくずとか。

自作の糊カレー

 ずいぶん以前のことであるが,カレーの料理本を買ってきて下宿でカレーばっかり作り続けたことがあった。みじん切りにしたタマネギを何十分とか炒めて作るやつで,なれてくると結構うまいものができあがった。インド料理屋のカレーとはまるで違ったものだけれど,固形のカレールーから作るものとも一線を画した味と香りになって,大変な満足感を味わったものである。
 それと並行して,小麦粉を炒めて作るカレーもずいぶん作った。これも何かの料理本に載っていたもので,小麦粉を油で炒めると香ばしいカレーになるとか書いてあったけれど,香ばしくてうまいと感じるカレーができあがったことは一度もなかった。フエキ糊を黄色くしたようなどろどろのカレーができただけである。
 それでも,そういうどろどろカレーは,それはそれでうまかった。どろどろという形容は正しくはないな。しゃもじでかき混ぜた感触は正直「フエキ糊」なのである。小麦粉に熱を加えてダマができないようにかき混ぜれば糊ができて当たり前なのである。そこにカレー粉を入れて同じく炒め続け,水を入れてのばせばまさに真っ黄色の糊ができあがる。それを別途ゆでておいた野菜(炒めるなんてことはしない)の鍋に投入すると,全体が真っ黄色のカレー糊ができあがる。こういうものだから,どろどろではなくて,ねとねとカレーという形容がより近い。少々堅めにできあがると,カレールーをご飯にかけて食べるというよりも,具が混じった黄色い糊をご飯に塗りたくって食べる,というあんばいになる。
 これはこれでうまい。

格差社会を食べ尽くす

 上品な食べ物とはほとんど縁がない。かといってハンバーガーに代表されるようなファストフードならいいのかというと,文化と味覚と健康を蝕む鉄砲玉という認識があって,やっぱりいやだ。昨年のこと,「格差社会を食べ尽くす」なんていう本を面白がって企画しかけたことがあったが,考えていくとシャレにならないのでやめた。
 それはさておき,自宅で食べるものを除いて比較的多数回口に入るカレーは何かというと,立ち食い蕎麦屋のカレーが筆頭にあげられ,その次は日本風カレー屋のカレーである。本格インドカレー店のカレーは,そんな店にはほとんど行かないのであまり口に入らない。みんなそうなんじゃなかろうか。俺だけ特殊か?
 で,その立ち食い蕎麦屋のカレーであるが,値段は普通350円から400円のあいだ。円形のお皿の半分にご飯を薄く盛りつけ,残りの半分のスペースにカレーをよそってくれる。ご飯とカレーの境界のはじっこに若干量の福神漬けを付けてくれる。
 触感はぬめぬめしているし味もあまり良いとは思わないが,おそらく業務用の出来合いカレーなんだろう,こんなもんかなという程度ではある。品はないものの,それでもボンカレーやククレカレーと同水準の味ではあるので,唐辛子と胡椒をかけて,それでもだめだったらソースや醤油をかけて食べればなんとかなる。生協の食堂の120円のカレーしか食べられなかったころに比べれば少しは小銭もあるというのに,こうまでしなければ食べられないようなものをわざわざ食べに立ち寄るのもどうかしていると思う。うまいと思って食うわけでもないし,食費に事欠いて食うんでもない。現実の必要性や理屈なんかを超越して脳髄に染み込みまくっているのかもしれない,あの味が。脳髄かどうかはともかく,舌の習癖というものは容易に変わらないものなのだ。いずれにしろいやだな。

声の思い出こそ大切に

 昔々カセットテープというものに録音した音声を、今デジタルのデータ(mp3)に変換している。変換のためにそれなりの機材を買ったのだ。機能に若干の不満はあるけれど、CDからもカセットからもUBSメモリーからも再生できる機材で、なかなか便利なものだ。
 カセットに残っている最も古い録音は1971年のもの。発売されたばかりのソニーのMEMO(だっかたな)とかいうカセットレコーダーで録った。中3の終わりのころ、教室での音の風景である。
 再生してもすぐに止めたくなる。この部屋で自分以外誰も聴いていないにもかかわらず、恥ずかしくなってしまうのだ。
 普通に話せばいいものをなぜか怒鳴りまくっているみたいだし、どういうわけか今以上にがらがら声で、自分の声じゃない。それでいて、そのころ親しみを感じていた女の子の声なんて、記憶の中の声と全く変わることなく綺麗に澄みきって聞こえる。彼女の責任ではないけれど、なぜか悔しい。
 でも昔の恋人に決して会ってはならないと言った人がいたっけ。目の前にいるおばさんはあなたの記憶の中の少女ではないのだ・・・、だったかな、、、。