昨日の『花子とアン』

 昨日の『花子とアン』。路上で立ち話をする花子たちの上を飛行機が飛んで行くシーンがあった。飛行機そのものは画面に出てこなくて、頭上の爆音に気づいた花子たちが空を見上げていると、機影がその上を動いていくという場面。
 でもあの爆音、あのキーンとした音はジェットエンジンじゃないか?そして過ぎていく機影だが、いくら当時の飛行機が牧歌的なスピードしか出ない複葉機といっても、あれはちょっと遅すぎないか。花子たちの上をゆっくりゆっくり通り過ぎて行った。

国会でもセクハラヤジ

 ネット情報(時事通信)にこんなことが書いてあった。「日本維新の会の上西小百合衆院議員は4日午後、大阪市内で記者団に対し、衆院総務委員会でセクハラに当たるやじを受けた問題で、自民党の大西英男衆院議員から「ご迷惑をお掛けし、申し訳なかった」と謝罪の電話があったことを明らかにした。上西氏は謝罪を受け入れる考えを示した。」
 謝罪を受け入れる? 問題は両者間の個人的なレベルのことか?
 セクハラヤジは国権の最高機関たる国会の衆議院総務委員会というオオヤケ中のオオヤケの場で公然とおこなわれたのであって、国民代表という立場で出席した大西英男議員が国民代表という立場で公然とおこなったヤジである。つまり責任あるヤジだ。大西英男議員の国会議員としての資質や責任が問われて当然のヤジである。ヤジられた上西小百合議員との個人間での問題ではないのだから、上西小百合議員が謝罪を受け入れるかどうかなど大西英男議員の資質の問題や責任の消長とは無関係であろう。たとえて言えば、上西小百合議員の個人的法益が侵害されたのではなく、全ての女性や現在の人権秩序という国家的法益および社会的法益が公の場で侵害されたのである。
 都議会でのセクハラヤジの取り上げかたも同じであるが、問題を個人間のトラブルに矮小化してはならなかろう。塩、、、なんとかという議員のタレント?時代の言動をあげつらってどっちもどっち的な問題に解消しようとする人権蹂躙マスコミの動きがあるようだが、卑劣きわまりない手口である。しかも、だ。NHKをはじめとする最近の失言先生の言い訳の仕方を借りてごらんなさいよ。そんなもん、「私人としての発言です」、「撤回します」で済んじゃう程度の発言じゃわ。
 それはともかく、大西英男という国会議員が国会という公の場でおこなった国家的社会的法益侵害ヤジついてどう責任をとろうとするのか、二〇世紀の人権感覚に追いつけない国会議員のこのような振る舞いについて国会自体がどう対応するのか、見物じゃわ。

人材拒絶の法科大学院

 日経の記事『法科大学院の定員、来春はピークから45%減に』によると、来春の法科大学院の入学定員総数は3175人で、ピーク時の5825人から約45%減となるのだそうだ。74校あった法科大学院は募集停止があいつぎ、来年度に学生募集するのは54校、とも。
 文科省が5月に公表した今春の入学状況では、募集した67校の定員計3809人に対し、入学したのは2272人、入学者が定員を下回ったのは91%に当たる61校で、うち44校は半数に満たなかったんだそうだ。
 弁護士を目指す人材自体がここ数年で急激に減少したのかな。それもあるかもしれない。急増のおかげで弁護士をとりまく経済事情は悪化の一途をたどっており、業界の吸引力も弁護士の魅力も急落したことは考えられるな。「まともに食えないばかりでなく修習期間中の貸与性のために積み上がった借金で首がまわらない」的な報道がじゃんじゃかなされていちゃ、そりゃ敬遠したくもなるよね。敬遠したのは優秀な人材かそれとも優秀でない人材かと問われれば、「両方」と答えるしかないと思う。結果として弁護士という職業を目指す優秀な人材が減ってしまったはずだよね。
 法科大学院それ自体としては何が言えるのかな。<法科大学院へ入学したい>と考えている学生や社会人等の絶対数が減少していることだけは数字上一見あきらかだよね。じゃあ、法科大学院への入学を敬遠したのは優秀な人材かそれとも優秀でない人材かと問えば、やはり「両方」と答えるしかないと思う。裁判官・検察官・弁護士を目指す優秀な人材を法科大学院はみすみす取りこぼしているんじゃないだろうか。自らの経営手腕のなさが自らの経営危機を招いているというだけのことなら勝手だけど、将来の法曹を担う核心たる人材を年を追うごとにますます取り逃がすような機関って、いったい何なのじゃろうか。制度そのものが、「ようこそ法曹の入り口へ」じゃなくて「来ないほうが身のためだよ」と言っているのが現状のような気がする。予備試験は逆に大盛況というんだから、制度として失敗だったことは認めざるを得ないんじゃなかろうか。
 予備試験がどうあれ、合格者激増と法科大学院制度って、今後もずっと維持すべきなのかな。優秀な人材を取りこぼすどころか、両者あいまって積極的に排除するという機能を発揮しているように見えちゃうんじゃねえ。とりわけ法科大学院は、そこに将来の法曹養成という機能が残されているにしても、人材排除的な極めて有害な機能を併せ持っちゃっちゃ、解体ないし解体に類する抜本的な改組をおこなうことが日本国の将来にとって憂いの無い方法じゃないんだろうか。