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10年前の西安旅行

西安のおはなし                       2002・7・4-8

 西安旅行のおはなし。2002年7月4日午前11時ころ成田発、午後3時か4時ころ西安の飛行場に着。ガイドの薛祥雲さんと運転手の趙さんが出迎え。このツアーに申し込んだのは我々夫婦二人だけという不景気が幸いして、専属のガイド・運転手になってしまった。サービスにも割と気をつかってくれて、予定外のところにも頼んだら連れて行ってくれた。場所を間違えて全然別のところへ連れて行かれたけれど(西安事変記念館と言ったのに八路軍西安弁事処へ行っちゃった。これはこれで面白かったからいいんだけれど)。あと、薛さんは<考える>というのを、「がんげーる」と言い続けていた。これもおもしろかったな。「では、よくカンゲーテください」と何度もはっきりと言い続けていた。でも、「正しくはカンガエテなんですよ」とは指摘できなかった。
 トヨタタウンエースで市内へ。1時間くらいかかった。ホテルは西安東方大酒店。西安城南側4キロメートルくらいのところにあり、周囲は文教地区。近くには長安大学もある。ちょっと歩くと西安交通大学。でも、西安市内の散策を楽しみたいなら西安城の内側のホテルにしたほうがいい。離れるとインフラの点で身柄の自由度はひどく低下するから。
 荷物を置いてホテルを出て、長安大学方面へ歩く。西安城の内側へ行きたくてバスに乗ろうとしていたのだが、どうしても乗れず。あきらめてタクシーで中心部へ向かった。ここで交通事情を書く。

<交通事情>
 もともと唐のみやこ長安だけあって,東西南北にメリハリの利いた広い道路が走っている。平安京や平城京とは規模が隔絶していて,とにかくだだっ広い道路がはるかに霞んで見えなくなるまで続いている。歩いて移動するのはまっぴらだ。西安城の中ではそれなりにごみごみしていて精神的にはそれほどつらくはないのだが,西安城の南側の文教地区なんかだと建物の規模ひとつひとつが大きすぎて,隣の建物の前まで移動するのも気が変になる。
 公共交通機関。地下鉄は無い。計画は以前あったようだが,どこを掘っても遺跡にぶち当たってしまうため断念したらしい。バスはたくさん走っている。トロリーバスもある。しかし使いかたがわからないので乗車は難しい。路線番号が書いてあるから落ち着いて行き先と見比べれば大丈夫とも思うけれど,車掌が乗っているのと乗っていないのがあったり,行き先をどう指示していいいのかも自信がないから,やっぱり怖じ気づいてしまう。なお、2階建てバスの2階フロントガラスは例外無くヒビ割れている。どういう神経をしているのか,街路樹の存在を無視してかまわずに突っこむのである。次にタクシー。これはものすごい数で,料金も低めなので利用価値が高い。でも結構ぼるし、乗っていて怖いけれど。赤いスズキアルトが初乗り15元。これが最もたくさん走っている。どこでも見かけるから簡単につかまえることができる。ただし,そのほとんどがぼろぼろ。ボディーはくすみバンパーは横を向き、ラジエターグリルは片方半分が外れたままというようなのがほとんど。料金メーターは針金やヒモで固定したようなのばっかり。クーラーは一応付いているのだが,効きは悪い。そのことは運転手も気にしていて,しきりにクーラーに手をかざして調子を見ているけれど,だめ。スズキアルトと同じ大きさの緑の車もある。こっちのほうが一見したかぎりでは新しめ。しかし乗ってみるとあまり違わないからわざわざ選んでも意味は無いと思う。そしてカローラと同じくらいの緑色のシトロエン。初乗り17元。でも乗らなかったので程度は不知。あとはバイクタクシーやら3輪バイタク,そして3輪自転車。これらの料金は交渉制だから我々が乗りこなすのはちょっと困難だろう。だいいち西安の交通事情のもとでは危ないので勧めない。
 それにしても,どうしたらあんなに汚く乗れるのだろう。アルトはスズキと中国国内の合弁企業の生産らしいから、どれにも新車だったころはあったはずだ。洗車屋は市内あちこちで見かけたから洗車という概念が存在しないというわけではない。しかし、どれもこれも塗装の表面はつや消し状態。ツヤのあるアルトは一台も見かけなかった。こういう事情はバイクも同じで、ぴっかぴかの新車か、廃車寸前のぼろ車かのどちらかだ。
 洗車屋のことを一つ。西安の古めの建物は皆煉瓦造りだ。高層建築物ではなくて、2階建てくらいのものだと皆煉瓦造り。だから、元は料理屋でも内装をぶちこわせばすぐに煉瓦のスケルトン状態を復元することができる。そこを若干白めに塗装して床面の排水を工夫すると、簡単に洗車屋を開店することができる。間口2間ほどのところを右左の隣家の意向にはおかまいなしに洗車屋にしてしまうことができるのだ。そこに車を頭から突っ込ませて、じゃーじゃーホースで水をかけさせればいいだけ。そんな洗車屋がいたるところにある。しかし、それにしてもキレイな車が走っていないのはどういうわけだ。キレイなのは一部だけ。<紅旗>はキレイだけれど、これは別だ。
 車の量と運転の荒っぽさに反比例するかのように,横断歩道や歩行者用の信号はあまりない。車の通りが激しいところを人が平気で横切るし,車も車で歩行者に気を付けながら徐行してかわすなんていう上品なことはしないから,我々からすれば絶句するような光景にでっくわしてしまう。歩行者も歩行者でそこはもう慣れきっているらしく,どんなに交通量の多い道路でも横断するときに小走りになるなんていうことは絶対にない。あっちの方から自動車の大群が猛スピードで迫ってきていても平気。ゆっくりゆっくりと歩いて渡る。見ているとそれでもなんとか轢かれることもなく渡り終えてるから,むしろ小走りになどならないほうが双方の予見可能性を奪うことなく安全に横断できるのだということだろう。勉強になった。しかしそう分かっていてもやっぱり走りたくなるよねえ。
 自動車の運転事情は無法の一言に尽きる。振り返って考えると、最初に乗ったタクシーが飛び抜けて<道交法ってナンデスカ>状態だった。昭和30年代にカミカゼタクシーという言葉があって、東京でものすごいGを感じさせるタクシーに乗った記憶があるのだけれど、親と一緒の子どもに怖いものなんてなかった。
 この最初のタクシーはすごかった。乗って地図を見せて鐘楼を指図したと思ったら、猛ダッシュ。我々が日本人観光客だとわかった瞬間から中国ドライバーの特殊なスイッチが入ってしまったらしい。左右の車を追い抜き、やや前方に少しでも隙間があるとウインカーも出さずに一般公道でスラロームをやりやがる。前の車ぎりぎりの車間距離であおりにあおって、極端なブレーキングをジムカーナのように連発する。タクシードライバーの職業倫理なのかはわからないが、とにかく1秒でも早く我々を目的地に送り届けたくてしかたがないようだ。シートベルトもせずにスペースマウンテンくらいのスリルを味わうことができて、その意味ではお得な車と言える。西安環状2号線を右折してからは高速道路のような道になるからどうなることかと思っていたら、査定ゼロのぼろぼろアルトのエンジンが焼き付くんじゃないかというようなけたたましい音をたてて加速しはじめた。ブレーキだけはちゃんと利くから不思議だ。赤信号で止まると「イエイ!」っていう感じでテクニックを自慢することも忘れない。
 西安城の中に入るとさすがにごみごみしていて若干の渋滞もある。そこで彼が選んだのは対向車線激走だった。ああ、信号待ちだなあ、と思ったら、ハンドリング鮮やかに対向車線へ出て、向こうから対向車が走ってくるのにもかかわらず、何の躊躇もなく加速して突っ込んでいった。間一髪、元の車線にあった少しだけの隙間に割り込みやがった。それですむかと思ったら大間違いで、特殊スイッチオンの運転手は止まらない。横道にそれて今度は一方通行の逆走だ。もう一つ,中国では,タクシーというものは基本的には客は助手席に乗るものらしい。客が一人の場合には例外なく助手席に座っていたからそれでいいのだろう。だからなおさら怖いのだ。足を前に突っ張るようにして,衝突しても大丈夫な体勢に身構えていたけれど,いちおう何もおこらなかった。
 手に汗握る緊張の数分間が過ぎて、鐘楼近くの大通りに着いた。こういう体験は日本では遊園地以外ではそうそうできるものではないと思っていたら、チューハイ飲んで東名高速の乗客を恐怖のどん底におとしいれた高速バスの運転手がいた。大らかさに乾杯!
 近くのデパートの地下で軽食をいただく。そこで、麺の話。

<岐山麺>
 市内のあちこち小さな食堂が沢山ある。その中でわりと目についたのが「岐山麺」という看板だ。通訳の薛さんによると、岐山地方の郷土料理のような麺なのだそうである。
 鐘楼の脇のデパートの地下の食べ物コーナーに岐山麺があった。西安最大のデパートという感じのところの地下なのだが、電灯がなんだか暗くて陰鬱だ。しかもフロアの隅のほうに位置しているし、中国食堂の例にもれずお客に美味しく食事をしてもらおうという内装の工夫なんか全くないから、食べる前から美味いはずがないという確信を持てる。
 中国どこでも出っくわすのがアクリルボードに遮蔽された調理室である。ボード越しに食材をながめると、真っ白いうどんのようなもの・しらたきのように透き通ったうどんのようなもの・日本のソバを2段階くらい黒っぽくしたものの3種類があった。売り子のおばさんに一杯欲しいと態度で示すと、これらのうちいずれかの麺を選べというのだ。西安まで来てうどんやしたらきなんていやだ。特に後者は気持ちが悪い。ということで、純粋な物珍しさから真っ黒なソバを選んだ。
 おばさんが渡してくれたどんぶりには、豆腐なんかを入れるために日本のスーパーでトイレットペーパーのようにぐるぐる巻きになって供給されているポリ袋が被さっていて、その上に麺が盛りつけてある。つまり、どんぶりを洗う手間を省くためにカバーが掛けられているというわけだ。ヒトをばかにしているね。
 そこで問題の岐山麺。汁無し麺が盛りつけてある。おつゆは底のほうに若干。そして麺の上にはおろしニンニクと細切れニンニクれがトッピングされている。
 味はというと、書かないほうがいいだろう。西安へ行ったときのおたのしみにとっておいたほうがいいと思う。酷くまずくはない。事実、私は少し残しただけで食べてしまった。
 しかし,だ。ニンニクがふりかけられたこんな変な麺を,しかもこんな倉庫のすみっこのようなところで若い男女が食ってるというのは光景としてなんか不思議。

 初日はそのあとイスラム街散策。そのお話。

<イスラム街>
 西安にはイスラム教徒がたくさん住んでいる。たいして厳格な生活をおくっているわけではないらしいが、それでも男は白いキャップをかぶり、女は布きれで頭を丸く覆っている。豚肉は食べない。
 西安へ着いた当日、イスラム街を歩いた。西安城の中心である鐘楼から西門に向かう直線道路の北側にイスラム住民が多いらしい。鐘楼の西北にはついこのあいだできたばっかりの小市民根性丸出しのこじゃれた広場があって、その先に鼓楼がある。鼓楼をくぐったところに清真大寺というイスラム寺院の周辺や西側がイスラム街になっている。イスラム街と言っても何か物珍しい建物があるわけでもなんでもなく,そういう住民が沢山住んでいるということにすぎないから,漫然歩いているだけでは汗くさい下町にすぎない。
 鼓楼をくぐると左側はすぐに門前町の土産物屋の密集地帯だ。左に入る路地があって、そこに入り込むと自然に清真大寺にいたる。路地の左右は凡て土産物屋で、置いてある商品は示し合わせたかのようにどこも同じ。ニセ古銭・毛沢東バッジ・毛沢東ライター・美女トランプその他、どれもこれも同じもの。浅草の仲見世だってまあ同じようなものだけれど。
 面白いのはそんなところではなくて、イスラム連中が住んでいる街の中である。お土産街を過ぎてお寺の前を通ってその先へ行くと、そこから先がイスラム街の中心部だ。
 片側1車線というと褒めすぎで、両側あわせて1車線半くらいの車道の両脇に割合広めの歩道がある。それが、凸凹だったり狭くなったり無くなったりしながら、ずっと続いていくのである。特徴的なのは,車道も歩道も小汚いこと・羊肉料理屋が沢山あること・西瓜を満載した荷車が道ばたに停まって商売していること・天秤棒を担いだライチ売りがうろちょろしていること・白いキャップの老人がぼーっとしていること,等である。
 話は変わるが,今回の旅行ではシルクロードを歩いた。れっきとしたシルクロードである。唐のみやこ長安はシルクロードの東側の終点になっていて(しかし日本が終点という気がしないでもないが),そこから西にはるか続く街道がシルクロードということになっている。で,西への出発点が西安城の西門(=安定門)である。西門の西側を300メートルほど歩いた。いやー,シルクロードですね,しるくろーど。歩いてみないとこの感覚はわかんねえだろなあ。この排気ガス。
 また話は変わるが,イスラム街にしろ何にしろ,最も特徴的なのは,人が道ばたに大勢いることだ。これが繁華街だったら通行人が多いのは当たり前だからおかしくも何ともないが,地元の商店街兼生活道路の歩道にイスをならべて,何の用事があるとも思えない中高年の男女がたむろしているのである。中国将棋や麻雀やってるのもいればトランプやってるのもいる。歩道の共同水道で子どもを洗ってるのもいるし鍋だの釜だのをあらってるのもいる。地元の人たちの生活領域に入り込んだみたいで若干いごごちは悪いんだけれど。まあ,ここではこんなふうな生活なんだね。午後になるとみんな家から出てきて一緒になってヒマをつぶすんだろう。
 自分の家が快適でないこともあると思う。どの家もどの家もガラス窓がきれいなところなんて無くて,広いとも思えないし,そんな中で数時間を過ごすよりも,家の前に出てきて近所の人や通りがかりの人と話をするほうがそりゃ面白いだろう。連れだって飲み屋に行く習慣がない中国だったら,麻雀やトランプはいい暇つぶしのネタだ。

 2日目の朝食はホテルのバイキング。準備された料理の量は豊富なのだが、いかんせん客が少なすぎる。2組しかいない。この日だけが特殊なのではなくて、ずっと2組3組だった。あまった食べ物はどうするんだろう。いつも疑問に思う。
 この日最初に、秦の始皇帝の兵馬俑坑観光。大雨による出水で車が通れず、迂回しながら到着。これは世界遺産でもあるし有名すぎる場所だから、ここで書いてもしょうがない。
 帰りながら秦の始皇帝の陵の前をとおり、お昼ご飯のレストランへ。よくわからないうまくもない料理を堪能してから、午後は華清池観光。玄宗皇帝と楊貴妃が淫ら三昧にふけった場所。そんなことよりも、西安事変のとき、蒋介石が張学良に捕まった場所としてのほうが興味深い。壁にはそのときの弾痕がある。ここもたいていのツアーには組み込まれているけど、池の周囲を歩いただけでは何も面白くない。たいしてキレイでもない池や半裸の楊貴妃像、玄宗楊貴妃の風呂場の石組みなんか見ても、すげえなあなどという感慨は起こらない。どうせなら少々時間をかけて、池の背後の山の斜面にずっと続いている迷路のような石組みを歩いてみるほうがいい。蒋介石が捕まったのも山の斜面だった(ホントにここでいいのかな)。
 そのあとはホテルに戻り、夕方、餃子宴の夕食ということでレストランへ連れていかれる。餃子は美味くない。皮がねとねとしてしまっている。ただし、そのあとオプションで入場したダンスと演劇ショーは、まあ悪くはなかった。踊り子さんの体の動かしかたが妙なあんばいで珍しかったのと、ラッパ(チャルメラ)男の芸が良かった。この男、大小のラッパを吹いていて、たしかにすごいテクニックだ。曲の途中で口からラッパを離したと思ったら、口だけでラッパと同じ音色を出し続けやがった。これは見事。
 ガイドの薛さんはちゃんと仕事をしてくれた。最初店員に案内されたのはコーカソイドの親子がいる丸テーブルだった。薛さんが店員と何事か話してから、別の席に我々を案内させた。「この席はアメリカ人と一緒で良くありません!」と言っていた。相席のお相手が誰であれ相席自体が嫌だけどね。

 次の日は、歴史博物館と大雁塔その他の観光。歴史博物館はおいとこう。

<大雁塔と小雁塔>
 西安を含んだツアーで大雁塔をはずしたのはないだろう。長安のころ三蔵法師が天竺から持って帰った経典を納めたのが大雁塔というわけで,何重にも重なった60メートルを超すレンガ造りの塔は写真にもよく出てくる。安録山の反乱のころから後,すいぶん荒廃してしまったということだが,今では整備されすぎと断言できるくらいに整備されまくっている。お寺の正門の前まで行ってみると,大雁塔だけが一見古いだけで,あとの門だとか周辺の付属物などはついさっきできたばっかりという感じである。正面の三蔵法師のブロンズ像なんて新品だし,その前を気がおかしくなるくらい遠くまでまっすぐに伸びる自動車道路や公園なんていうものも立派すぎて興がそがれることはなはだしい。薛さんに「この道路はどこまで続いているのか」とたずねたら,「山までです」と確信をもって答えてくれた。
 で,大雁塔そのものである。入場料とは別料金で登ってみようというわけで近寄ると,塔の表面は積み重なったレンガが結構美しくて,古くはあるのだがきれいで,それはそれでいいとしよう。問題は中身である。これはどうしたものか。きれーいに壁が白く塗られていて,真新しいことこの上ない。できたばっかりという感じ。大阪に聖徳太子が造った四天王寺があるでしょう。多くの人はそこの五重塔に登ると思うけれど,あそこみたいなものだ。内部の造作は全く違っても,四天王寺の五重塔ほど寒々しくもないけれど,無味乾燥で無機的な内部だ。台湾にコンクリートでできた虎や竜のでっかい作り物があって,口からその中に入ることができるのがあるけれど,あんな感じ。ありがたくもなんともない。修復される以前は,内部ももっとワイルドな作りだったに違いないが。これではばかでかいセメントの置物と何ら異なるところはない。修復のされかたが悲しい。素朴な疑問だが、この塔のどこに経典を納めたのか。そんな場所ねーよ。
 対して,小雁塔。大雁塔と博物館の観光から帰ってきて、ホテルから歩いて行ったのだった。これは文句なく推薦できる。ツアーにはほとんど入っていないようだが,これは行くべし。行って最上段まで登るべし。何が違うといって,コンクリートの遊具のようなものになってしまったシロモノと崩壊しかかったままというものとは,そもそも迫力が違う。前者は観光客ばっかりで物売りも大勢いて賑やかなことすごいけれど後者はほとんど人などいない。外形的にはエッジがあちこち崩壊していて実に日本人好みにシブい。崩壊というのはウソではなくて,昔の地震で縦まっ二つに割れ目ができてしまった。その写真が資料室のようなところに展示してある。そして,塔の最上段3層くらいが,その地震によって崩壊したまま,現在でも修復されていない。だから遠目にもてっぺんの部分が不整形に崩れているのがわかる。
 入り口からしていかにもやる気がねーよ的な青年が飯食いながら門番していたりして演出もすばらしく,観光客相手でないことが良く分かる。大雁塔は各層ごとに部屋ができているわけではなく,塔の真ん中の階段室を中心に,各層の4方にあいている窓に通じる空間があるだけだから,階段を登るごとに何層目の部屋まで来たという実感はわかないのだが,小雁塔では各層ごとにレンガ積みの耐力壁でできた部屋のようなスペースになっていて,それが層の数だけ重なっている。だから,下の層の部屋は割と天井も高くてまあ面積も広めではあるが,上に行くにつれて天井は低くなり面積は小さくなり,床スレスレで2方向に開いている窓のような開口部分は縦も横もどんどん小さくなっていき,その閉塞感にはひどいものがある。内部に内装なんていうものは無くて黒いレンガむき出し。電灯はあくまで暗く,雰囲気造りにも余念がない。上に行くにも下に行くにも階段のための小さな出入り口しか存在しないもんだから,閉所恐怖症でなくてもいたたまれなくなる。「獄」だ。
 屋上というか,以前は最上層に近いところは今では崩壊のおかげて屋上のようになっている。小さくて急な階段を登って潜水艦のハッチを四角にしたような穴から体を引き出すと屋上に出ることができる。これはすがすがしい。崩壊したレンガはそのままになっていて,鉄でできた柵越しに四方を眺めることができる。眺めて実際には面白い風景など一つも存在しないのだが,それでも気分だけはいい。
 できたのは710年のちょっと前だというから,奈良時代の始めのころの建造物と思えば間違いはない。仏塔は中国各地に沢山あるけれど、ストーパとはこういうもんかを体感できる貴重な遺物だ。

 その夜は中国しゃぶしゃぶの夕べ。車でホテルから連れて行かれた。その前に西安城の西門や鐘楼も行ったのだが、これはどーでもいい。中国しゃぶしゃぶはまあうまかった。加えて、外語学院3年生で日本語検定1級に合格したという21歳のしゃぶりつきたいくらいに可愛い女の子がドライフルーツの押し売りに来て、これも面白かった。
 夜はテレビを見てから寝た。そこで、テレビの話。

<テレビのコマーシャル>
 ホテルで見ることのできたテレビのチャンネル数はあまり多くはなかった。でも,東京都多摩市の我が家のチャンネルよりも多かった気がする。
 それはともかく,気が付いたのは薬のコマーシャルが多かったことだ。えぐくてインパクト有りすぎ。
 第1に,子ども向けのドリンク剤のコマーシャルが連続して何回も放映されている。その内容がすごくて,3歳くらいの男の子の身長を両親が測りながら子どもにドリンク剤をぐいぐい飲ませるのだ。この両親というのは見ているこっちが恥ずかしくなるようなドレスアップしたプチブル男女で,いかにも中国の新中間層なのよといった感じである。
 別のやつは,1歳の子どもにドリンク剤を飲ませると,すぐに漢字カードを並べ替えて賢いところを見せるようになるという内容だ。ガキは<我愛媽媽>と最初にカードを並べていて,そのあと<媽媽愛我>などと並べ替える。
 第2に,飲むと,脳膜炎から結膜炎・子宮内膜炎まで,炎と名の付くものは全て,ありとあらゆる炎が治ってしまうという薬。すごいなあ。飲むと5日で体全体が真っ白になるという激烈な美白効果のある新薬完成というのもあった。薬事法はねーのかよ。やせ薬なんか買わなくてよかった。

 翌日は自由行動。思い出は尽きない。午前中に行った巨大スーパーマーケットもよかった。客を見たらドロボーと思え的なシステムや店内カートの搬入もすごかった。前者は、カバンとか袋物を持ってスーパーの店内に入ることを禁止するというものだ。客はスーパーの店内に入る際に、入り口のところにある手荷物預かり所にそれらを預けなければならない。そして小さな預かり証明のチケットをもらうことになっている。これは2箇所のスーパーでも1箇所のデパートの地下食品売り場でも鐘楼横の大きな本屋でもそうだった。おいてある商品は貴金属ではない。野菜とか缶詰とかポテトチップだ。そんなもの、手荷物預かりの人件費をかけてまで防衛する必要あんのかよ。人件費は限りなく安いんだけど。
 思い出してみると,中国の伝統的な小売店というのは客が商品に直接手を触れることができなかったわけだ。ここでは手にとっていいよというわけだが,「そのかわりお前らカバンを持ち込んじゃだめだよ」ということなのだろう。やっぱり客=ドロボーという感覚だ。
 後者は迫力ものだ。3階建ての巨大スーパーは店内の買い物カートがどのフロアも移動自由になっている。で、最終的にはレジのある1階に集中してくるわけだが、それを2階3階へ戻すやりかたがすごかった。ちょうどそのとき1階エスカレーターのところに居合わせたのだが、叫び声が聞こえて振り返ると、50台くらいムカデのように連なったカートを、二人の店員のうち1人は前にもう1人は後ろに手をかけて,遠くのほうからすごい勢いをつけてエスカレーターに突撃させたのだった。
 午後、一度ホテルに戻ってからちょっとの間の外出のときの昼食も思い出深い。以下のとおりである。

<失敗の麺>
 7日の日曜日は一日中市内の散歩ということにした。そういうわけでお昼に何を食べようかということが問題になるんだが,ここはやはり観光客用のレストランなんかではなくて,町中の地元の連中ばかりが利用するような小さな汚い食堂に行ってみたい。汚いというのは余計な形容のようにも思われるが,どれをとってもそういうところは一様に汚いのだからしょうがない。
 で,ホテルを出て,長安大学のほうへ歩いていった。ホテル周辺は西安城つまり中心部からはかなり離れたところなのだが,どこもかしこも人だらけ。恋人さんや物乞いさん。携帯電話を133元で買いますという段ボール製紙看板を前に置いてしゃがみ込んだ人,英語教えますというのを置いてしゃがみこんだ人。なんとなくしゃがみ込んだ人など。一人オーケストラや物乞いウオッチングも話は尽きないのだが、これは書かないでおく。
 ケンタッキーをすぎて50メートルくらい行ったあたりで折れた左側に、いくつか食堂が並んでいるのが見えた。店の前10メートルほど離れたところからしばらく様子を見て、店の前にいるあんちゃんが呼びかけてきたところで,「まあいいや,失敗してもどうせ安いんだし」と店を決めた。この店に決めた,というよりも,もうしょうがないや,というニュアンスの決断である。
 入り口には天井から透明な厚めのビニールでできた長い暖簾が下がっている。冷房の効果を長持ちさせるための工夫だ。触れるのも気色は悪いが我慢してかき分ける。店に入るとき、あんちゃんは、「坐(ツオウ)!」と言っていた。
 結果を先取りして書くと、ほとんど残したにしてもうれしい。食えたもんじゃなかったけどうれしい。ビデオがあったら全編見せてあげたい。
 広さというと8階の弁護士室の半分くらい。ここ最近拭いたことがないようなテーブルが4つ置いてある。日本ではどこでも見かけなくなったテーブル。30年くらい前なら田舎食堂で使っていたかもしれない。テーブルの上にはどういうわけかB5の大きさのプラスチックの平たいカゴがおいてあり,捨てるのにも困るようなニンニクのかけらがいくつかころがしてある。
 で、内装だ。失礼ながらこれが中国食堂の不潔感を増幅させる原因の一つだと思うのだが,壁一面が白いタイル貼りなのだ。何かお風呂とか洗面所とかをイメージさせるし,トイレみたいな感じもする。それがきれいならまだいいのだが,まだらに汚れていたり床との継ぎ目にシミが目立っていたりと,タイルの白さが逆効果になって不衛生という印象を与えるのだ。
 それと、びっくりしたのはメニューがあったことだ。こういうところは普通メニューなんかないし,たいていは壁に料理の名前が書き殴ってあるだけなのだ。メニューを見て注文できたのは,まず菜っぱの炒め物。メニューの上での名前は読めなかったけれど,どう悪くころんだって菜っぱには違いないということだけは読みとれたのだ。ちょっとしょっぱかったけれど,まあ食べられなくはない。これだけだときびしいかも。
 次は麻婆豆腐。四川料理の店だとは思わなかったのだが,メニューにあったので注文した。結果,全体の味付けというと,麻辣味が極端でかなりすごい。少しばかりつまんで食べると味がそれぞれ違っていて,ある部分はほんのり辛いだけ,ある部分は山椒がきつすぎて口全体がしびれるような味,ある部分はただただ塩辛いだけ,というしろものなのだ。これ全体をご飯の上にかけてしまって麻婆ライスにしてしまえば良かったのかもしれない。
 問題はそんなところにあるのではない。最後に選んだ麺である。食えたもんじゃないと書いたけど、少なくとも思い出つくりの役には立った。「なんとか涼麺」というのをメニューで指さすと,「なんとか没有(メイヨー)」という返事がかえってきたのだった。それでもってしかたなく,まるで意味不明の麺=丁丁麺を選んで注文したのだ。こういうのは実はものすごく危険であることくらい分かっている。得体のしれないもんが出てきてびっくりしたという経験はこれまで1度や2度や3度や4度ではない。しかし,まあ,小椀で4元だから,多少まずくともびっくりしても,まあいいや,というくらいの気持ちだったのだ。
 しかし,なかなか出てこない。菜っぱと麻婆豆腐だけをちまちまと食べながらずっと待っていた。味付けからしてこういうのは食べづらい。
 麻婆豆腐が3分の1を残すくらいになったところで出てきた。それを見て,たまげた。
 まず量のこと。A4の用紙というものがあるでしょう。それよりもう少し大きいくらいのステンレス製のバットに山盛りいっぱい出てきたのだ。なにが小椀なものか。しかも汁無し麺だとは予想していなかったから、この点でも驚いた。小振りのお椀によそられたうどんのような汁有り麺しか予想していなかったのだ。どんなにまずくたって変なトッピングがあったって、ちゃちゃっと食べられると思っていたのだ。
 さて、その麺である,まず,20年前の田舎の喫茶店のスパゲティナポリタンを思い描いてほしい。それが上記のバットに大山盛りになっている状態をまず思い描く。次に,その麺を取り替えてみる。名古屋名物の味噌煮込みうどんというのがありますね。あの麺はどういうわけか非常にかたい。その麺を,マカロニくらいの長さにぶつ切りにする。そうすると,断面が四角な,穴のあいていない、やたらと堅いぶつ切り麺ができあがる。あくまで手打ちである。だから,太さや堅さ・幅にばらつきがあるのだ。さて,これを上記の麺と取りかえる。これでだいたいイメージができあがった。こういうぶつ切り麺がナポリタンの色に染まってバットに山盛りになっているのだ。もう一つ事実に近づけると,使うナポリタンソースだかケチャップだかの量を半分くらいに押さえてみよう。するとほぼ正確にこのわけのわからない麺が再現できる。薄くケチャップ色が着いたぶつ切りの堅い麺がA4大のバットに山盛りになっている。こんなものがこんなところで出てくるとは思わなかった。(実は、夫婦で一皿ではなくて、各自一皿すなわち合計2皿注文したのだった。)
 まあ、うまければそれでもとにかく昼食にはなるからいいんだが,これがまたすごくまずい。えもいわれぬまずさだ。薄いトマトケチャップ味の堅いブツ切りうどんなんて想像もできないだろう。とにかく「おそば」などというものではないから,のど越しで味わうみたいな食べかたは不可能。1片をつまんで食べてみるにしても、むしゃむしゃと咀嚼しないといけないし、そうすると味が感じられてしまって胸くそが悪くなる。なんで中国西安まで来てこんなものを食べなければならないんだ。
 大きなスーパー2軒に入ってみたけれど,どちらにもスパゲッティやマカロニの乾麺は売っていなかった。おそらく西安市ではイタリア料理の素材など手に入らないのだろう。そこを無理矢理イタリアンのようなものを作り出したのだと思う。とにかくケチャップ味だし,タマネギやピーマンが混ざっているし,中国風のお椀ではなくてステンレスのバットなどというへんてこなものに盛りつけられているのだから,イタリア風を気取った作品に違いない。努力だけは評価することにして,夫は4分の1ほど食べて、妻は3切れほどつまんだだけで、あとは放棄した。ごめんね。でも,ここまで努力するのならイタリア名とかなんかでも書いておいてほしいな。

 その他の街並み見物をしながら1日が過ぎた。夕食はホテルの近所の台湾料理屋で済ませた。帰る日の午前、今回の旅行でいちばんやりたかった西安城の城壁サイクリングを楽しむことができた。

<西安の城壁>
 西安市の中心部分はレンガでできた高くて厚い壁で取り囲まれている。中国のおもだった古代・中世都市は皆こういうものらしい。朝鮮半島でもそうだ。もちろん外部に対する関係では防備という目的があるから,目的と効果からしてみれば壁というよりも城壁である。だから西安城であり,難攻不落の唐のみやこ長安城なのだ。日本で城壁というと天守閣のあるお城の構造物としての城壁である。西安のように都市全体を取り囲んだ城壁などというものは想像外のしろものである。
 全体の規模としては,外周16キロだか14キロだか。フォルムとしてはA4だのB5だのといった紙を、長辺を東西にして拡大したようなものである。その外周部分が高さ16メートル厚さ14メートル(だったかな?)のレンガ造りの城壁になっているわけだ。黒くていかにも堅そうなレンガ。現存のものは明代のもので,ほぼ修復してある。しかもさらにその外側には堀が巡らしてある。西安駅の前のところ(紙の右上の部分)が300メートルくらいに亘ってすっぱりと切り取られているのは残念だが,元に戻せとも言いにくい。唐代の長安城はもっともっとおおきなエリアを包含していたということだけれど,これは現存していない。西安に行ってとにかく登ってみたいと思ったのはこの城壁だった。兵馬俑坑なんか写真で見りゃいいんだ。
 城壁のそばまで行ってはるか遠くを眺めると,先のほうは霞の向こう側に消えてしまっている。何キロメートルもの彼方まで城壁が続いているせいもあるけれど、消え入ってしまうのは東京など比較にならないほど酷い排気ガスのせいである。
 城壁の上への登り口は結構たくさんある。代表的な観光ルートだと,あちこちにある城門のうちの南門とか西門。こういうところには砦みたいな構築物があって,現在ではその広場のようなところが駐車場に利用されている。西門などは昔々はシルクロードへ旅立つ人の壮行会とかの宴会場に利用されていたんだという。そのほかは城壁の内側の壁にへばりつくように造りつけてある階段が登り口である。外側に登り口があったら城壁にならないね。あちこちにあるとは言っても1キロとか2キロに1カ所の入り口だから,どこでもすぐに登れるわけではない。
 今回登ったのは,西門のところと南門のところ。
 南門の石造りの階段は急でもなく緩やかでもなく。城壁の上に登りついて最初にしなければいけないことは、どこまでも続く城壁を眺めることである。眺めると、やっぱり城壁は霞の中に消えているのである。これは壮観ですぜ。万里の長城というのはまだ見たことがないけれど,あれもこういうものなのだろうか。よくもこんな構築物を造ろうと思うものだ。
 こういうところへ登ってやってみたいことといったら,ずっとむこうのほうまで行ってみるということしかない。ともかく全てこの目で見たいしどこまでも行ってみたい。できればぐるっと一周したいのだが、物理的に不可能であることは承知している。だから可能な範囲では全部やってみたい。
 しかし徒歩では無理だ。きれいな木々に囲まれた優雅な散歩道であるならゆっくりと歩いて行くのもいいかもしれない。しかし,数キロメートルもあくまでほとんどまっすぐ続く炎天下のレンガ道なんて誰だって嫌だろう。そこで,自転車でもないかと見渡すと,あるんですよ,これが。1人乗り・2人乗り・3人乗りの自転車。そして8人乗りくらいの電気自動車。
 お勧めは1人乗りの自転車である。電気自動車は楽であることは確かだが、こんなものは乗り合いバスの小さなものだから,城壁の中央を漫然走るだけであって,そんなんでは城壁から都市の内外を眺めることは不可能である。城壁の上のエッジ部分は1メートル以上のレンガが積まれているのであって,そこからのぞき見るようにしないとすぐ下の光景は見ることができないのだ。複数タンデムの自転車だと、気が付いた風景のところに機敏にストップすることができない。だから,1人乗りの自転車が最も利用価値大なのだ。
 料金は1台1時間10元。デポジットが1台あたり100元。ブレーキの利きはあまり良くない。しかし観光客密度の極めて希薄なこんな城壁の上で,急ブレーキを使うことはまずありえない。だから大丈夫。それよりも心配なのはパンクである。これは走り出してから気が付いた。というのは,城壁の上には煉瓦が一面に敷き詰めてあって,それが舗装道路のように真っ平らだったらともかく,ところによっては結構な凸凹のためにガクガク手がしびれるような乗りごごちなのだ。だからパンクしそうな気配があってちょっと心配な部分がある。しかもここは中国だ。
 しかしまあ,爽快は爽快。ごみごみした周囲のレンガ建物を見下ろしながら,まっすぐな城壁の上を走るのである。中国の西安まで来てこんなことやってるんだなっていう気持ちはGOOD。日差しを遮るものは何も無いから直射日光は痛いほどなのだが,湿度が低いために体感的にはそれほど熱くない。これはたすかる。50分くらい走って帰ってきた。東門のところで柵に遮られてそれ以上進めなかったけれど,気持ちだけはよかった。これをやりたかったんだ。なお、ところどころにトイレはあった。ちょっと覗いてみたらトビラもあった。

 こんなふうに西安旅行は無事終了。航空券やホテルを自分で手配するのが理想だけれど、今回はツアーで良かったと思う。なにしろ見所は西安郊外で遠すぎて、自力でたどり着くのが容易ではないから。予算的にもずいぶん低めで終わった。
 8日の午後11時過ぎに帰宅。

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