• 弁護士のブログ

八つ当たりレポート

ずいぶん前に書いたレポート。何がテキストだったのか忘れたが、とにかく理解できなくて八つ当たりしたレポート。

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 極めて難解な叙述であり、全く理解できなかった。何を言いたいのかてんで判らないのである。したがって、内容に関してあれこれ言うことはできないので、ここではこの「思想」というのに八つ当たってみるよりほかないことになってしまった。
 だいたい、こういう論文調の文書の冒頭に、そこで解明するはずの問題の設定や扱うことになる問題の限定を明記しないで、あるいは結論をあらかじめ述べずに、意図をひた隠すようにして叙述を続けるなど、言語道断である。当該論文以外のところで問題意識を共通にしている読者であれば格別、そうでない読者にとってはまるで判じ物である。しかも、言葉がいちいち難題をふっかけているようだ。構造化?何のことだ。伝統化?何のことだ。
 そもそも日本の思想などということからして何のことかわからない。この列島に居住する人々の共同討議を経たうえでまとめあげられた「思想」なんて、過去にあったろうか。あるわけないとすれば、何をもってそれらの「思想」を「日本の思想」と呼ぶのか。中央政権による列島全体の実効的な支配など鎌倉時代になったって不出来で、それ以後も東国政権の分離衝動が何度となく顕れた。現在の日本国の領土とは異なる範囲に複数の国家が成立する契機はありえたのだし、100年前の日本国の住民にしても、精神的土壌の共有部分など決して多くはない。それなのに、日本の思想?
 思想を云々できる思想家がどれほど存在したのか。世界的に見て江戸時代の識字率は高かったといっても、「思想」などということを操ることができた人口はとるに足らなかろう。明治以降にしてもそうだ。1945年のころの高等教育を受けた人口など、今日とは比べものにならない。その内のさらに一握りの部分が、「思想」云々と接触できる環境にいただけである。そういう狭い世界であれこれされていたのが「日本の思想」。Ⅰの部分は1957年に発表されたらしいが、高度成長以前の「日本」の高等教育事情を知らないのか。
 それにしても思想云々を論じること自体一種「芸」の世界を思わせる。自分たちの間だけで通じる符丁を使ってさも高等なことを言っているように見せて、しめしあわせたように、外部の者の理解などそっちのけの文書を書く。みずから「日本の思想」などと表題をくっつけても、列島居住者のほとんど大部分の日常や意識から遠く離れたところでこねあげられた「思想」である。ひとにぎりの同好の士だけで「なるほど」「いや、だめだ」「構造化されていない!」などとお互いに慰め合っているのだから、まことにこれは「芸」の世界だ。俳句の世界みたいだ。頭巾をかぶって短冊をもって、池の蛙をながめてうんうんうなっているのとどこが違うのか。普通の人である私には何が面白いのかまるで理解できないし、こういう人たちと話をする気にもなれない。まして読むように書かれていない本、この列島に居住する人の「思想」に働きかけようという姿勢がつゆほども見られない文書など、見るだけで脱力感におそわれる。

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