昨日の『花子とアン』

 昨日の『花子とアン』。路上で立ち話をする花子たちの上を飛行機が飛んで行くシーンがあった。飛行機そのものは画面に出てこなくて、頭上の爆音に気づいた花子たちが空を見上げていると、機影がその上を動いていくという場面。
 でもあの爆音、あのキーンとした音はジェットエンジンじゃないか?そして過ぎていく機影だが、いくら当時の飛行機が牧歌的なスピードしか出ない複葉機といっても、あれはちょっと遅すぎないか。花子たちの上をゆっくりゆっくり通り過ぎて行った。

国会でもセクハラヤジ

 ネット情報(時事通信)にこんなことが書いてあった。「日本維新の会の上西小百合衆院議員は4日午後、大阪市内で記者団に対し、衆院総務委員会でセクハラに当たるやじを受けた問題で、自民党の大西英男衆院議員から「ご迷惑をお掛けし、申し訳なかった」と謝罪の電話があったことを明らかにした。上西氏は謝罪を受け入れる考えを示した。」
 謝罪を受け入れる? 問題は両者間の個人的なレベルのことか?
 セクハラヤジは国権の最高機関たる国会の衆議院総務委員会というオオヤケ中のオオヤケの場で公然とおこなわれたのであって、国民代表という立場で出席した大西英男議員が国民代表という立場で公然とおこなったヤジである。つまり責任あるヤジだ。大西英男議員の国会議員としての資質や責任が問われて当然のヤジである。ヤジられた上西小百合議員との個人間での問題ではないのだから、上西小百合議員が謝罪を受け入れるかどうかなど大西英男議員の資質の問題や責任の消長とは無関係であろう。たとえて言えば、上西小百合議員の個人的法益が侵害されたのではなく、全ての女性や現在の人権秩序という国家的法益および社会的法益が公の場で侵害されたのである。
 都議会でのセクハラヤジの取り上げかたも同じであるが、問題を個人間のトラブルに矮小化してはならなかろう。塩、、、なんとかという議員のタレント?時代の言動をあげつらってどっちもどっち的な問題に解消しようとする人権蹂躙マスコミの動きがあるようだが、卑劣きわまりない手口である。しかも、だ。NHKをはじめとする最近の失言先生の言い訳の仕方を借りてごらんなさいよ。そんなもん、「私人としての発言です」、「撤回します」で済んじゃう程度の発言じゃわ。
 それはともかく、大西英男という国会議員が国会という公の場でおこなった国家的社会的法益侵害ヤジついてどう責任をとろうとするのか、二〇世紀の人権感覚に追いつけない国会議員のこのような振る舞いについて国会自体がどう対応するのか、見物じゃわ。

人材拒絶の法科大学院

 日経の記事『法科大学院の定員、来春はピークから45%減に』によると、来春の法科大学院の入学定員総数は3175人で、ピーク時の5825人から約45%減となるのだそうだ。74校あった法科大学院は募集停止があいつぎ、来年度に学生募集するのは54校、とも。
 文科省が5月に公表した今春の入学状況では、募集した67校の定員計3809人に対し、入学したのは2272人、入学者が定員を下回ったのは91%に当たる61校で、うち44校は半数に満たなかったんだそうだ。
 弁護士を目指す人材自体がここ数年で急激に減少したのかな。それもあるかもしれない。急増のおかげで弁護士をとりまく経済事情は悪化の一途をたどっており、業界の吸引力も弁護士の魅力も急落したことは考えられるな。「まともに食えないばかりでなく修習期間中の貸与性のために積み上がった借金で首がまわらない」的な報道がじゃんじゃかなされていちゃ、そりゃ敬遠したくもなるよね。敬遠したのは優秀な人材かそれとも優秀でない人材かと問われれば、「両方」と答えるしかないと思う。結果として弁護士という職業を目指す優秀な人材が減ってしまったはずだよね。
 法科大学院それ自体としては何が言えるのかな。<法科大学院へ入学したい>と考えている学生や社会人等の絶対数が減少していることだけは数字上一見あきらかだよね。じゃあ、法科大学院への入学を敬遠したのは優秀な人材かそれとも優秀でない人材かと問えば、やはり「両方」と答えるしかないと思う。裁判官・検察官・弁護士を目指す優秀な人材を法科大学院はみすみす取りこぼしているんじゃないだろうか。自らの経営手腕のなさが自らの経営危機を招いているというだけのことなら勝手だけど、将来の法曹を担う核心たる人材を年を追うごとにますます取り逃がすような機関って、いったい何なのじゃろうか。制度そのものが、「ようこそ法曹の入り口へ」じゃなくて「来ないほうが身のためだよ」と言っているのが現状のような気がする。予備試験は逆に大盛況というんだから、制度として失敗だったことは認めざるを得ないんじゃなかろうか。
 予備試験がどうあれ、合格者激増と法科大学院制度って、今後もずっと維持すべきなのかな。優秀な人材を取りこぼすどころか、両者あいまって積極的に排除するという機能を発揮しているように見えちゃうんじゃねえ。とりわけ法科大学院は、そこに将来の法曹養成という機能が残されているにしても、人材排除的な極めて有害な機能を併せ持っちゃっちゃ、解体ないし解体に類する抜本的な改組をおこなうことが日本国の将来にとって憂いの無い方法じゃないんだろうか。

セクハラヤジの都議会議員を弁護する、か?

 鈴木あきひろとかいう元自民党の都議会議員がセクハラヤジをトばしたということで話題になっている。なにしろご当人「私じゃないですよ。わからないと思いますよ。ヤジなんていちいち聞いてる人いないですから」とインタビューに答えたその数時間後にヤジったのは自分であることを認めたわけで、大ウソついてたとなりゃマスコミの話題にもなるでしょう。なにしろ都議会議員という公職どころか選良というポジションにある人物が卑怯者と後ろ指さされても弁明しようがない態度をとっていたわけで。
 大勢の声に隠れてセクハラヤジはトばせても、一人堂々と弁明するにはビビっちゃう程度の小人物。機会が無かっただ? いくらでもあったろうに。

 それにしてもおもしろかったのは、こいつのための弁護言論。いくつかタイプがあるようで、
1 音声の聴きかたの誤りであり、セクハラヤジは存在しないという発言自体の否認論。しかし音声を良く聴くとやっぱり「おまえが」としか聞こえないということで決着が付いてしまった。そもそも議員ご本人が認めてしまったし、もともと後先のことを考えないコジツケ筋の弁護論だったようだ。逆にヤジの内容自体に注目を集めたという点ではヤブヘビ弁護だった。
 大傑作だったのは、ご本人がヤジを認めているにもかかわらず「そんなふうには聞こえない!」という優秀すぎる人材まで出現したこと。こりゃないわ。ゆがんだ鏡にはゆがんだ像しか映らない。議員ご本人がかわいそうだ。  
2 セクハラヤジ自体から話題をそらして議論を煙に巻く詭弁論。しかしこれは論理性に欠けることが明白で、弁護論者からもあまり相手にされずに終わったようだ。例えば、ヤジの中身にまるで触れることをせず、ヤジの対象になった塩村はこういう人物であるということの強調にひたすら終始する。これって鈴木都議にとって何の弁護にもならないことがまるわかりである反面、こんな弁護にもならないことを陳弁たてまつることで己の頭の悪さもまるわかりになってしまうことから、与する弁護論者はさすがにいなかったみたいだ。
 これのエピゴーネンはいくつか登場したようだ。やっぱり弁護にならないという致命的な欠陥があって先細りに終わってしまったのが惜しまれる。
3 どこかの陰謀論。何かから目をそらさせようとしてマスコミかどこかが陰謀をめぐらせて仕組んだ事件で、ヤジ自体が偽造であるというもの。セクハラどころか大ウソまでつく小心者をいまさら陥れたってしょうがなかろうに。フリーメーソンやユダヤ組織がどうのこうのというトンデモ論に汚染されてるのかな。音声データの存在やご本人の自白があっては何の弁護論にもならない。エンターテインメント性だけが取り柄だった。
4 たいした内容のヤジでもないのだから問題にするほうがおかしいという、ある意味正統派。しかし21世紀現在の人権感覚に欠けることは否めず、加えて海外マスコミからも指弾されるにおよんでめっきり勢いがなくなってしまった。結局、「そのくらいいいじゃないか」といった程度の理解じゃ通用しないということだ。どこかの会社でこんな発言したら今日び当たり前にセクハラ認定されるわけで、要するに時代遅れのおっさんレベルなのだな。海外からの目線に弱いのも困った特徴か。

 この間、企業不祥事にしても政治家の不祥事にしても、つべこべ言い訳して責任逃れを続けることで逆に傷口を拡大してしまっていた。この都議なんてついには海外マスコミからも注目をあびる大江戸出物語の主人公に成り上がってしまった。わたなべなんとかという国会議員のあのみっともない姿、あれが国権の最高機関の構成員だというのだからたまげる。あんなになる前に身を処していたらはるかに良かったろうに。もちろん国民としても早めに引退してもらうのが喜ばしい。
 ところで、このヤジと同時期に「産めないのか」というヤジも聞こえたらしい。都議会自民党は徹底的に調査するのとは正反対の姿勢のようだ。この都議の大ウソをみれば他にもほっかむりしている恥知らず議員がいることは容易に想像できる。こいつや自民党のおかげで世界中の笑いものになるというのは実に名誉なことだ。

八つ当たりレポート

ずいぶん前に書いたレポート。何がテキストだったのか忘れたが、とにかく理解できなくて八つ当たりしたレポート。

*****

 極めて難解な叙述であり、全く理解できなかった。何を言いたいのかてんで判らないのである。したがって、内容に関してあれこれ言うことはできないので、ここではこの「思想」というのに八つ当たってみるよりほかないことになってしまった。
 だいたい、こういう論文調の文書の冒頭に、そこで解明するはずの問題の設定や扱うことになる問題の限定を明記しないで、あるいは結論をあらかじめ述べずに、意図をひた隠すようにして叙述を続けるなど、言語道断である。当該論文以外のところで問題意識を共通にしている読者であれば格別、そうでない読者にとってはまるで判じ物である。しかも、言葉がいちいち難題をふっかけているようだ。構造化?何のことだ。伝統化?何のことだ。
 そもそも日本の思想などということからして何のことかわからない。この列島に居住する人々の共同討議を経たうえでまとめあげられた「思想」なんて、過去にあったろうか。あるわけないとすれば、何をもってそれらの「思想」を「日本の思想」と呼ぶのか。中央政権による列島全体の実効的な支配など鎌倉時代になったって不出来で、それ以後も東国政権の分離衝動が何度となく顕れた。現在の日本国の領土とは異なる範囲に複数の国家が成立する契機はありえたのだし、100年前の日本国の住民にしても、精神的土壌の共有部分など決して多くはない。それなのに、日本の思想?
 思想を云々できる思想家がどれほど存在したのか。世界的に見て江戸時代の識字率は高かったといっても、「思想」などということを操ることができた人口はとるに足らなかろう。明治以降にしてもそうだ。1945年のころの高等教育を受けた人口など、今日とは比べものにならない。その内のさらに一握りの部分が、「思想」云々と接触できる環境にいただけである。そういう狭い世界であれこれされていたのが「日本の思想」。Ⅰの部分は1957年に発表されたらしいが、高度成長以前の「日本」の高等教育事情を知らないのか。
 それにしても思想云々を論じること自体一種「芸」の世界を思わせる。自分たちの間だけで通じる符丁を使ってさも高等なことを言っているように見せて、しめしあわせたように、外部の者の理解などそっちのけの文書を書く。みずから「日本の思想」などと表題をくっつけても、列島居住者のほとんど大部分の日常や意識から遠く離れたところでこねあげられた「思想」である。ひとにぎりの同好の士だけで「なるほど」「いや、だめだ」「構造化されていない!」などとお互いに慰め合っているのだから、まことにこれは「芸」の世界だ。俳句の世界みたいだ。頭巾をかぶって短冊をもって、池の蛙をながめてうんうんうなっているのとどこが違うのか。普通の人である私には何が面白いのかまるで理解できないし、こういう人たちと話をする気にもなれない。まして読むように書かれていない本、この列島に居住する人の「思想」に働きかけようという姿勢がつゆほども見られない文書など、見るだけで脱力感におそわれる。

2002年の重慶訪問

第1信 2002年2月22日

黒澤です。
今,中国は四川省重慶市の,とあるホテルにいます。現地時間で午後10時です。部屋に一人きりです。直轄都市になったため,正しく言うと行政ルート上重慶は四川省に属していません。

まあ,元気です。
名古屋空港では離陸が1時間近く遅れました。午前12時10分から搭乗のはずが,50分になってようやく搭乗できたのでした。中国西南航空というのはいつもこういうものだそうです。おまけに重慶空港に着いてからも30分以上機内に閉じこめられたままでした。ふざけたことに,機内アナウンスは「入管と検疫の係員がまだ来ていないから」だと言ってのけました。それにしても出してくれたってよさそうなものだ,と思ったのでしたが,空港ビルに入るとそんなスペースなどどこにもないことが見てとれましたから,こんな中途半端なところに出されてただ待っているのもごめんです。
飛行機の窓から雨模様の外を見ると,タラップの横に機内掃除のスタッフが10名くらい整列しました。掃除の制服を着た人たちが手に手にホウキやらポリバケツやら小型のモップなんかを持って隊列を組んでいるのです。ボディーをふき掃除するわけではないから,明らかに機内清掃でしょう。でも,かえって汚れるんじゃないでしょうか。そんな気がします。

機内食のことを書きます。機内食を配りに来た連中の問いにこたえて,窓側に座った加藤先生はパン,隣の私はご飯,稲田先生はライスと言って頼んだのでした。食べ始めてふと加藤先生を見ると,私と同じものを食べている。「どうしたんですか?」と聞くと,「こういうのが来たんだよねえ」とひとこと悲しそうにつぶやきました。稲田先生を見ると,食べているのはソバでした。まあ,機内食など電子レンジで温めるジャンク食料なのだからどうでもいいのだけれど,すごく熱いご飯のその横に冷え切った煮物があるというのはどういう芸当なのでしょうか。

重慶では李さんが出迎えてくれました。この人が通訳です。大阪弁・名古屋弁・共通語を自在に通訳してしまうという,かなりの芸達者です。

さて,空港から30分くらいかかって重慶市内に入って行ったのですが,街の姿は靄の向こうに暗くぼんやりと見えるだけで,全体をはっきり見ることはなかなかできません。市街地へ入ってからはさすがにびっくりしました。これはまたどうでしょうか,ポキッと折れてしまいそうな高層ビルがたくさん建っている。『大純情君』というマンガがあったけど,そこにでてくる都市みたいな感じです。台北の不安定な高層マンション以上の奇観です。香港の高層ビルを遠くから眺めているようでもあり,しかしその高層ビル群がかなりの急斜面に立っているため非常に不安定な感じがするのです。
気づかないうちに高速道路から降りてしまいました。かなり広い道路をそのまま走って,トンネルをいくつか抜けて,揚子江にかかる大きな橋を渡りました。そのあともう一度トンネルをくぐるとホテルに着きます。

入ったホテルは,つまり私が今いるホテルですが,「ホリディイン重慶」というところです。わりあいグレードの高いほうのホテルだそうです。部屋はツインのシングルユースです。狭くもなく広くもない。日本のシティホテルに比較すればいいほうかもしれない。9階です。外を眺めても暗くなってしまっていて,もう景色は見えません。電話回線のモジュラージャックもあって,なかなかに進んだホテルのようです。

夕飯はホテルのすぐ前の海鮮料理屋でとりました。どういうわけだか海鮮料理です。ここは内陸都市ですよ?いいんだけど。「海鮮」という部分は自分で食材を選んで注文することができます。可もなく不可もない。ただ,本場四川料理がすごかった。初日だったし,ほどほどにしておこうと辛くない麻婆豆腐を注文したところ,これがいわゆる本場の麻辣(マーラー)で,舌がしびれることはなはだしい。とんがらしの辛さはさほどでもないのですが,山椒のしびれるような辛さが実に強烈です。そのあとの料理の味など全くわからなくなります。山椒の実をかみ潰したところがしびれまくり,そのあと局所的にしょっぱい味が感じられてやたらと唾液が出てきたりします。料理は決してまずいわけではありませんから,別の意味で楽しめます。
小さなお皿で出てきたザーサイも見るからに辛そうでしたが,味が深くておいしかった。
あと,入り口近くに並んでいるサンプルにも驚きました。とんがらしの入った野菜炒めなんて,普通は野菜炒めにとんがらしがせいぜい2本か3本まじっている程度のものだと思うのですが,ここの店のはとんがらし本体が炒めものになっているのです。こんなものいったい誰が食べるんでしょうか?

そこでの李さんの話ですが,上海で売っているブランド品は全てニセモノと思ってよいとのことです。単純な偽ブランドとともに,中国の会社がフランスで現地法人を登記して,メイドインフランスで売るのもあるそうです。また,同じブランドなら中国で売っているものよりも日本で売っているもののほうが良いそうです。検品の厳しさがまるで違うからとのことでした。

ではまた。もう寝ます。

第2信 2002年2月23日

黒澤です。
今,午後9時20分といったところです。昨日書いたメールは送信することができず,さっきになってしまいました。まあしょうがないよ。ここは中国だもん。
モジュラージャックにつないで国際電話をかけて日本国内のアクセスポイントにつなぐのがいちばん手っ取り早いと思ってそうしたのに,ホテルの外線番号すら的中せず,ぜんぜんつながらないのでした。成功したのは菅原先生の助力によります。

今日は重慶市内の視察と若干の名所巡りをしました。急ぎ足だったために路地裏など歩く時間が全然とれず,この点は大きな不満が残りました。
揚子江の橋を渡る小さなワゴン車の窓から重慶の町を初めて眺めます。感想ですが,これまでに行った外国のどことも異なる景観で,都市計画法や建築基準法など見たことも聞いたこともない,といったような都市でした。近代化から取り残された建物群ではなく(そういう部分もありますが),超高層ビルが急傾斜地崩壊危険区域に林立するといった,後先のことなど考えない未来都市なのです。朝早くから煤煙臭がものすごく,長江の対岸など霞んで見えるその向こう側に巨大ビルがたくさん建ち並んでいるのです。ある種,夢のような世界でした。
実際に町に入っていくと,整然とした再開発都市といったものとは案の定正反対で,やっぱり都市計画という発想を超越しきっています。高層ビルがあったかと思うとその横には古めかしいスタイルの建物があり,なおかつ街角には天秤棒の振り分け荷物を担いだ人が歩いていますし,練炭を山積みにした大八車がアウディの横をごろごろ歩いていたりします。天秤棒を手に持って急傾斜の商店街でひまそうにしている男女というのは,買い物宅配便というもので,商店街で買い物をした人に頼まれると,天秤棒に荷物をくっつけて自宅まで運んでくれるという商売です。自転車はほとんど見かけません。重慶は斜面にできた町なのです。
その高層ビルですが,建設途中で放棄されているものが多いのです。現在工事中というのではなくて,工事を中断してかなりの時間が経っているようにしか見えません。どうみても途中放棄です。聞いてみると,中国では資金を全額集めずに着工することが多く,途中で資金が続かなくなったらとりあえず工事をやめてしまい,あとで資金が集まり始めたら工事を再開するらしいのです。

斜面といえば,道の横のガケには横穴がたくさんあって,そこで商売をしている人もたくさんいました。斜面に洞窟があいていて,そこがお店になっているのです。なかには相当奥の深いものもあるようでしたから,もしかすると旧日本軍の重慶爆撃のときの防空壕なのかもしれません。それとも「ヤオトン」?
もう一つ強烈な印象を書いておきます。ここは3000万人以上の人口をかかえる巨大都市です。交通量としては車も人もすごく多い。しかし,信号がほとんど存在しません。四つ角もありません。車の量の割には渋滞がほとんどありません。横断歩道もありません。そういうなか,歩行者は平気で道路を横断します。信号が無いから車の流れはとだえません。それでも歩行者はゆっくりと道路を横断するのです。道の真ん中で立ち止まっている人もあるのですが,特にあわてる様子もなく,ゆっくりと歩いて道路を渡ります。今日,私は一度だけ車道を横断しました。なかなか決心が付きませんでした。自動車が日本の常識を超えたスピードで走ってくるので,とてつもなく怖いのです。
道路はどこもかしこも泥のような埃のような灰色の粉で覆われつくしていました。セメントの粉が一面に降り積もったみたいです。もろに土壌が見えている街ではないので,煤煙とかスモッグとかが降り積もったものなのでしょう。正体は不明です。小雨でもあった後に転んだらたまりません。

日本で普通に見かける格好をしたトラックはまるで見ませんでした。途中で見かけた車はボンネットトラックばっかりです。ボンネットが運転席から前のほうに突き出たタイプの,昔なつかしいやつです。こういうトラックばっかり走っていました。
また,籠を背負っている人もたくさんいました。竹細工の大きなカゴです。日本でも田舎に行くと現役で使われているし,売っていたりもします。
市場にはすごい人だかりがしていて,道ばたの果物屋・本屋・土産物屋・雑貨屋が日本とかけ離れた文化を感じさせます。歩道に箱一つ置いてその前にしゃがみ込んだだけの菓子屋なんて,どうして商売になるのでしょうか。

午前中は,中華人民共和国成立宣言の直後に国民党によって虐殺された中国共産党員が収容されていた留置場の跡を見学しました。『紅岩』という小説の舞台なのだそうです。思い入れの深い案内者で,熱の入った説明をしてくれました。李さんに,「どうして日本人がこんなところに来るんだ」と聞いてきたそうで,それに対して李さんは,「この人たちは普通の日本人と違う。中国史を良く勉強している人たちだ」と答えたそうです。
留置場はどこもかしこも真っ黒に塗られていました。

昼食は四川料理のレストランです。野菜の煮物・魚・鳥のスープ・豆腐の煮物・麺・タニシの辛煮です。タニシはなんかわけのわからないとんがらしその他の夾雑物の中から拾い出し,サザエのようにカラから楊枝で身をほじくり出して食べるという,はなはだ労力を要する食べ物でした。また,麺はきわめて細く,薄味で物足りないものでした。
しかし何をおいても特筆すべきは,ここでの李さんの行動です。客など一人もいない寒々しいレストランの丸テーブルに私たちは席をとりました。ウエイトレスが私たち一人一人の前に白い食器をいくつか並べてさがったあと,李さんはテーブルの上のティッシュでその食器をごしごしと拭きはじめたのです。もしも日本のレストランでこんなことをやったら,店の人はむろんのこと一緒にいる人たちからも顰蹙ものでしょう。で,どうなったかというと,ティッシュは真っ黒になったのでした。私の隣の徳永さんは李さんと行動を共にしていましたが,私はこれらの食器を使わずに料理を食べることにしました。拭くこと自体がめんどくさいからでした。(*)

このレストランへ来る途中の目撃談です。私たちの車の前を走っていたバスが,運転席の横に大きなカゴをぶら下げていたのです。実に妙な光景です。何が入っているのか見てやろうと注目してもわかりません。そのうち坂道で追い越して振り返って見ると,運転席の横ばかりでなく,バスの前側にも大きなカゴをぶら下げていたのでした。本当におおらかな光景です。

そのあと一旦ホテルに帰り,そのあともう一度出かけ,今回の最も重要なテーマである律師事務所への訪問をおこないました。提携契約を締結するためです。とは言っても,これは私の業務に直接関連することではないのであって,私の事務所の先輩弁護士である菅原先生が現在熱を入れている中国関連業務なのです。私はといえば,まあ,今回の重慶行きはおまけみたいなものです。若手を何人も従えてやってきたということになれば,中国の律師事務所に対して少しばかりのハクが付くというわけです。
相手先になった律師事務所は重慶の中心部にあって,立派な高層ビルの上のフロアにあります。100名以上もの律師を擁する重慶一の渉外事務所でもあります。昔は,「**第一事務所」といって,政府系の特権商人のようなところだったようです。ま,あまり良く事情がわからないうちにどうしたわけか提携契約が調印されてしまいました。
窓からの眺めはそんなに良くはなくて,中国特有のごみごみした汗臭さばかりが感じられます。そしてげんなりさせられたのは,エレベーターに乗るのに金を徴収されたことです。どうするんでしょうか,ここに職場のある人は。定期券でもあるのでしょうか。

さて,そのあとはこの律師事務所による我々一行の歓迎の宴です。本当は個人的には重慶の町中を歩き回りたかったのですが,成り行き上いたしかたなくおよばれすることになりました。行き先は重慶一番の火鍋レストランです。「火鍋」というのは勘違いしたしゃぶしゃぶみたいなやつで,コンロの上の沸騰したスープの中に各種の具を入れて食べるというものです。思うところを要約すると次のとおりです。
①火鍋などそんなにうまいものではない。あたりまえのことであって,具を自分で茹でて食べるだけなのだから,最低限の安心感はあるものの,プロの手による本格的な料理などではありえない。
②中国人律師の乾杯の挑戦はモノ次第では受けてたって大丈夫。モノが白酒だと度が強すぎてこれはだめ。しかしビールであればどおってことない。中国のビールの度は3%とちょっと。青島ビールなんて日本向けでは5%くらいあっても,中国国内向けのものは3%程度のもの。2%のこの差は大きい。一息で飲み干してしまってもたいして酔っぱらわない。
③ステージの踊り子さんのダンスは何種もあって,両手を奇妙に交差させる踊りが何とも不思議な魅力がありました。子ども連れの家族で埋まっているレストランで,いいんだろうか,こんなダンスやって。
火鍋をつっついている最中に中国律師が私に向かって「どうだ。一気に飲めるか」なんていう感じで乾杯挑戦をしてきたので,挑戦3回とも軽く飲み干してやりました。中華律師はびっくりしていましたので,「勝った!」という勝利感はなかなかのものです。

第3信 2002年2月24日

黒澤です。
今日24日は成都というところまで高速道路で往復してきました。往復で7時間弱かかりました。成都は四川省の省都で,劉備元徳のお墓のあるところです。まっすぐで広い道がどこまでも途切れることなく続きまくるという,歩いて生活するには嫌なところです。だから,洪水というほどでもないけれど,成都には自転車がたくさん走っています。3輪の自転車タクシーもいっぱい見かけました。

たまたま兵馬俑坑の発掘物の展示会があったので,それを見ました。また劉備元徳のお墓にも行って来ました。後者でガイドをしてくれた女性がたいへんよろしかったことは特に書いておくべきでしょう。くわしくは省略します。

昼食は,成都大飯店という立派なホテルのレストランで,カエルの石焼きやタンタンメンを食べました。前者はどうでもいいけれど,後者はうまかった。日本のものと全く異なり,噂にきいていたとおり汁無しの麺です。小ぶりのお椀に白い中くらいの細さの麺がよそってあって,お椀の下のほうに汁というのかタレというのか,タンタンメンの核心部分が溜まっています。決して辛くはなく,結構なお味です。

ところで高速道路です。かなり凸凹があり,おまけにマイクロバスの運転手がやらたとぶっ飛ばすもんですから(150キロ),噂にきいた中国のジャンピングバスというものを実体験できてとてもうれしい。
もう一つ高速道路でおどろいたのは,堂々と人が歩いていたことです。たぶん近所の農村の人だと思います。ビニール袋を持ったり子ども連れだったり,天秤棒を担いだりした人たちがぶらぶら歩いています。当たり前の話,インターチェンジからインターチェンジまで歩き通すというのではなく,家族で近道をしているのでしょう。見たところ周囲はかなりの散村で,自家用車が普及している気配はありません。あと,自転車も1台走っていました。さすがにロバや牛は歩いていませんでした。もう一つ面白かったのは,高速道路のフェンスに野菜が干してあったことです。あっちにもこっちにも干してありました。のどかな光景です。

この成都行きでもっとも面白かったのは,高速道路から眺めることができた農村風景です。土壌はたぶん劣悪,植生は貧困。雑草すらあまり生えていません。重慶から成都までそういう農村がずっと続いています。全く途絶えません。まあ,のどかと言えばのどかで幸福そうな農村風景ではあります。しょい籠は立派に現役で,牛で耕しているところも見ました。田圃や池にはアヒルがあちこちにいます。
馬の左右に大きな籠をくっつけて荷物を運んでいます。夕方ちかくになっても家族で畑仕事をしていて,子どもも一緒にいろいろ仕事をしていました。同じ中国でも,高速道路の上の世界とは異質です。昭和30年代かそれ以前の感じです。山の頂上付近まで耕作されつくされていて,それでいてたいした収穫があるようにも思えません。かなりの急斜面もそのまま畑になっていますから,耕耘機やトラクターの出現以前の農地です。1台も見ることができませんでした。
農家のほとんどは赤茶けた焼成レンガでできています。その色がそのまま畑や山肌の色でもあります。水田なんて,田圃にはった水がレンガ色でした。農家の前庭まで車が通れる道も無いように見えました。どこまで行っても景色に変化はありません。それにしても三国志時代の軍隊がこんなところを進軍していったのかと思うと,気が遠くなりますね。

それに関連してもう一つ。雨が降ったらどうなるんだろうか。見たところレンガ色の表土がむき出しになっていますし,作物があったとしてもしっとりとした保水力豊かな土壌とはまるで思えませんでしたから,ちょっとの雨でも表流水が溢れる可能性があります。そして,土地の低くなったところや丘陵の間などに,水路・小川・溝・沢といったようなものが見あたらないのです。やっぱり降った雨水が徐々に湧水として湧き出るという土地ではないのかもしれません。となると,雨が降ったらいきなり出水となるのかと考えても,そんな様子もないのですから,要するにもともと雨なんてあまり降らないのかもしれませんね。真偽不明です。

重慶に帰ってきたときには真っ暗でした。この夜もみんなで夕食を食べに行ったのですが,私は勘弁してもらいました。その時間,私一人でホテルから歩きで出かけ,街中を歩いてきました。

ここで中国モノの中で最も気になるトイレ問題を書きます。外国人が宿泊するようなところは大丈夫とのことです。今泊まっているのは「重慶ホリディイン」で,ここはきれいです。しかし,高速道路から降りたところのガソリンスタンドのトイレは従来の中国のトイレそのものでした。暗くて足下がよく見えないようなコンクリート造りの小さな建物へ高木さんと一緒に入っていくと,いきなり,ほとんど仕切の無い場所におっさんがしゃがみこんでいました。なにしろ狭いから,そのおっさんのすぐ目の前で背中を向けて用をたさなければならず,なんだか後ろめたいような気持ちでした。「仕切」はあるのですが,陸上のハードルのよりもふたまわりくらい小さなものがしゃがんだおっさんの横に立っているだけです。つまりは,電線にとまった雀のようにならんでしゃがむことになります。女性用も同じだということです。やっぱりカルチャーショックですねえ。

第4信 2002年2月25日

黒澤です。
今日は数カ所まともな公式訪問をこなしました。
日本領事館・日本貿易振興会・三井住友銀行です。公式の発言部分を紹介しても面白くないと思います。だから省略します。ただ,ジェトロの星さんの話は面白かった。

前2者は「重慶賓館」という成金趣味の高級ホテルの中の迷路を通り抜けた隣のビルにあります。なんでも,トップの領事は重慶が体にあわずに一時帰国していて,もう一人の領事が面会してくれました。話は忘れました。星さんの話というのは,中国人の気質のことから食べ物のこと,もろもろの四方山話まで広がって,ジェトロ本来の業務と関係の無い部分がいちばん面白かった。三井住友銀行は私たちの泊まっているホテルの3階にあります。中国人スタッフが2名いて,重慶市の資料をプリントして待っていてくれました。
昼食は星さんご推薦のマリオットホテルの3階のレストランです。ここのタンタンメンが絶品です。また,星さんのおかげで,ホテルの近所にある日本人のたまり場になっている料理屋を発見することができました。夜はそこで日本料理というのかどう言えばいいのかわからない,日本の日常のおかずのようなおつまみのような料理を食べることができました。料理屋の名前は「横浜」といいます。

暗くなってから高木さんと市内散策をしました。私は前日の夜に一人でホテルの近所をぐるぐるまわったので,少しだけ土地感があります。そこで,わざと暗い通りを通っていかがわしいカラオケ飲み屋のような,一度入ったら二度と出てくることができないんじゃないかというような店の前をとおって,大通りへ出ました。途中の煮物屋台はどう考えても不潔極まりないものです。夜の夜中というのに,屋台には沢山の食材が一面に並べられています。売れ残ること確実で,このあとどうするんでしょう。
一度大通りへ出てしまうともう繁華街です。夜市のような中を通ったりCD屋へ入って1枚7元のCDを買ったりしながらの散策です。1元=16円ですから,CDは安かった。浜崎あゆみと倉木麻衣と数枚の中華アイドルのCDを買いました。(**)
あと,タバコをおみやげに買いました。1箱1元です。つまり16円のタバコです。どんなものなのでしょうか。煙いだけだと思いますが。
夜市はつまらないものばっかりでした。面白かったのは,屋台の下の檻のようなところに小さな子どもが入れられていたことです。閉じこめられているのではなくて,屋台の下のところが遊び場として囲ってあるという表現のほうが正しいと思いますけれど。

そして,私と高木さんは「横浜」のほうに帰ってきたのですが,途中,「横浜」の近くまで来たとき売春屈を発見したのでした。「横浜」の近所で,昼間ちょっと歩いたときには小ぎたない民家に見えた建物です。本当に全く何の?も感じなかったのです。ところが,このとき高木さんと帰ってきたとき,店先の紫や桃色の蛍光灯にちょっとした居間風のスペースが照らされて,こぎたない表にはふさわしくない雰囲気が醸し出されているのです。何か変だなと思って,そういった店舗が並んでいるほうへ歩いていったところ,やはりというべきか,どの店にも,そのスペースには派手なコスチュームの女性が複数名いるのでした。思うに,そのスペースの向こうにどうのこうのする場所があるとも思えませんでしたので,だぶん,連れ出すんではないでしょうか。良くわかりませんけど。
そういえば,高木さんのマッサージ嬢事件はなかなかのものです。2日前の夜,高木さんはマッサージを頼んだのです,ホテルのフロントに。そうしたところ,彼=高木さんが言うには,これまでの経験からして不釣り合いに若くきわどいコスチュームの女性が現れました。最初はうつぶせになってマッサージされていたのですが,そのあと仰向けになるように指示されたかと思ったら,おもむろに普通のマッサージではないような所為を開始したのです。彼はびっくりして,「ジャストマッサージ。マッサージオンリー」とかなんとか言って,とりあえずやめさせたということですが,そのあとのマッサージといったらひどくおざなりで,しかも200元も払わされたと怒っていました。まあ,アジアの南のほうのいくつかの場所では,そういうことがあたりまえにおこなわれているとのことですから,用心するにこしたことはありませんね。

明日帰ります。
(*)帰国後に読んだ本によると,中国茶の作法の一つである「最初の一煎は飲まずに茶碗を温めるのに使ってしまう」というのは,もともとは茶碗を「洗う」という意味だったのだそうです。だったら事前に洗っておいて,一番煎じはちゃんと飲めばいいと思うが。 (**)音跳びがありました。平面性が良好でなく,真ん中の穴もババリだらけ。  

野豚のソーセージ

 京王ストアで買ったあらびきフレンクフルト。「天然の豚腸に詰めて仕上げ」たって書いてあるのだが、「天然の豚腸」って何のことだ? 野豚のことか?

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10年前の西安旅行

西安のおはなし                       2002・7・4-8

 西安旅行のおはなし。2002年7月4日午前11時ころ成田発、午後3時か4時ころ西安の飛行場に着。ガイドの薛祥雲さんと運転手の趙さんが出迎え。このツアーに申し込んだのは我々夫婦二人だけという不景気が幸いして、専属のガイド・運転手になってしまった。サービスにも割と気をつかってくれて、予定外のところにも頼んだら連れて行ってくれた。場所を間違えて全然別のところへ連れて行かれたけれど(西安事変記念館と言ったのに八路軍西安弁事処へ行っちゃった。これはこれで面白かったからいいんだけれど)。あと、薛さんは<考える>というのを、「がんげーる」と言い続けていた。これもおもしろかったな。「では、よくカンゲーテください」と何度もはっきりと言い続けていた。でも、「正しくはカンガエテなんですよ」とは指摘できなかった。
 トヨタタウンエースで市内へ。1時間くらいかかった。ホテルは西安東方大酒店。西安城南側4キロメートルくらいのところにあり、周囲は文教地区。近くには長安大学もある。ちょっと歩くと西安交通大学。でも、西安市内の散策を楽しみたいなら西安城の内側のホテルにしたほうがいい。離れるとインフラの点で身柄の自由度はひどく低下するから。
 荷物を置いてホテルを出て、長安大学方面へ歩く。西安城の内側へ行きたくてバスに乗ろうとしていたのだが、どうしても乗れず。あきらめてタクシーで中心部へ向かった。ここで交通事情を書く。

<交通事情>
 もともと唐のみやこ長安だけあって,東西南北にメリハリの利いた広い道路が走っている。平安京や平城京とは規模が隔絶していて,とにかくだだっ広い道路がはるかに霞んで見えなくなるまで続いている。歩いて移動するのはまっぴらだ。西安城の中ではそれなりにごみごみしていて精神的にはそれほどつらくはないのだが,西安城の南側の文教地区なんかだと建物の規模ひとつひとつが大きすぎて,隣の建物の前まで移動するのも気が変になる。
 公共交通機関。地下鉄は無い。計画は以前あったようだが,どこを掘っても遺跡にぶち当たってしまうため断念したらしい。バスはたくさん走っている。トロリーバスもある。しかし使いかたがわからないので乗車は難しい。路線番号が書いてあるから落ち着いて行き先と見比べれば大丈夫とも思うけれど,車掌が乗っているのと乗っていないのがあったり,行き先をどう指示していいいのかも自信がないから,やっぱり怖じ気づいてしまう。なお、2階建てバスの2階フロントガラスは例外無くヒビ割れている。どういう神経をしているのか,街路樹の存在を無視してかまわずに突っこむのである。次にタクシー。これはものすごい数で,料金も低めなので利用価値が高い。でも結構ぼるし、乗っていて怖いけれど。赤いスズキアルトが初乗り15元。これが最もたくさん走っている。どこでも見かけるから簡単につかまえることができる。ただし,そのほとんどがぼろぼろ。ボディーはくすみバンパーは横を向き、ラジエターグリルは片方半分が外れたままというようなのがほとんど。料金メーターは針金やヒモで固定したようなのばっかり。クーラーは一応付いているのだが,効きは悪い。そのことは運転手も気にしていて,しきりにクーラーに手をかざして調子を見ているけれど,だめ。スズキアルトと同じ大きさの緑の車もある。こっちのほうが一見したかぎりでは新しめ。しかし乗ってみるとあまり違わないからわざわざ選んでも意味は無いと思う。そしてカローラと同じくらいの緑色のシトロエン。初乗り17元。でも乗らなかったので程度は不知。あとはバイクタクシーやら3輪バイタク,そして3輪自転車。これらの料金は交渉制だから我々が乗りこなすのはちょっと困難だろう。だいいち西安の交通事情のもとでは危ないので勧めない。
 それにしても,どうしたらあんなに汚く乗れるのだろう。アルトはスズキと中国国内の合弁企業の生産らしいから、どれにも新車だったころはあったはずだ。洗車屋は市内あちこちで見かけたから洗車という概念が存在しないというわけではない。しかし、どれもこれも塗装の表面はつや消し状態。ツヤのあるアルトは一台も見かけなかった。こういう事情はバイクも同じで、ぴっかぴかの新車か、廃車寸前のぼろ車かのどちらかだ。
 洗車屋のことを一つ。西安の古めの建物は皆煉瓦造りだ。高層建築物ではなくて、2階建てくらいのものだと皆煉瓦造り。だから、元は料理屋でも内装をぶちこわせばすぐに煉瓦のスケルトン状態を復元することができる。そこを若干白めに塗装して床面の排水を工夫すると、簡単に洗車屋を開店することができる。間口2間ほどのところを右左の隣家の意向にはおかまいなしに洗車屋にしてしまうことができるのだ。そこに車を頭から突っ込ませて、じゃーじゃーホースで水をかけさせればいいだけ。そんな洗車屋がいたるところにある。しかし、それにしてもキレイな車が走っていないのはどういうわけだ。キレイなのは一部だけ。<紅旗>はキレイだけれど、これは別だ。
 車の量と運転の荒っぽさに反比例するかのように,横断歩道や歩行者用の信号はあまりない。車の通りが激しいところを人が平気で横切るし,車も車で歩行者に気を付けながら徐行してかわすなんていう上品なことはしないから,我々からすれば絶句するような光景にでっくわしてしまう。歩行者も歩行者でそこはもう慣れきっているらしく,どんなに交通量の多い道路でも横断するときに小走りになるなんていうことは絶対にない。あっちの方から自動車の大群が猛スピードで迫ってきていても平気。ゆっくりゆっくりと歩いて渡る。見ているとそれでもなんとか轢かれることもなく渡り終えてるから,むしろ小走りになどならないほうが双方の予見可能性を奪うことなく安全に横断できるのだということだろう。勉強になった。しかしそう分かっていてもやっぱり走りたくなるよねえ。
 自動車の運転事情は無法の一言に尽きる。振り返って考えると、最初に乗ったタクシーが飛び抜けて<道交法ってナンデスカ>状態だった。昭和30年代にカミカゼタクシーという言葉があって、東京でものすごいGを感じさせるタクシーに乗った記憶があるのだけれど、親と一緒の子どもに怖いものなんてなかった。
 この最初のタクシーはすごかった。乗って地図を見せて鐘楼を指図したと思ったら、猛ダッシュ。我々が日本人観光客だとわかった瞬間から中国ドライバーの特殊なスイッチが入ってしまったらしい。左右の車を追い抜き、やや前方に少しでも隙間があるとウインカーも出さずに一般公道でスラロームをやりやがる。前の車ぎりぎりの車間距離であおりにあおって、極端なブレーキングをジムカーナのように連発する。タクシードライバーの職業倫理なのかはわからないが、とにかく1秒でも早く我々を目的地に送り届けたくてしかたがないようだ。シートベルトもせずにスペースマウンテンくらいのスリルを味わうことができて、その意味ではお得な車と言える。西安環状2号線を右折してからは高速道路のような道になるからどうなることかと思っていたら、査定ゼロのぼろぼろアルトのエンジンが焼き付くんじゃないかというようなけたたましい音をたてて加速しはじめた。ブレーキだけはちゃんと利くから不思議だ。赤信号で止まると「イエイ!」っていう感じでテクニックを自慢することも忘れない。
 西安城の中に入るとさすがにごみごみしていて若干の渋滞もある。そこで彼が選んだのは対向車線激走だった。ああ、信号待ちだなあ、と思ったら、ハンドリング鮮やかに対向車線へ出て、向こうから対向車が走ってくるのにもかかわらず、何の躊躇もなく加速して突っ込んでいった。間一髪、元の車線にあった少しだけの隙間に割り込みやがった。それですむかと思ったら大間違いで、特殊スイッチオンの運転手は止まらない。横道にそれて今度は一方通行の逆走だ。もう一つ,中国では,タクシーというものは基本的には客は助手席に乗るものらしい。客が一人の場合には例外なく助手席に座っていたからそれでいいのだろう。だからなおさら怖いのだ。足を前に突っ張るようにして,衝突しても大丈夫な体勢に身構えていたけれど,いちおう何もおこらなかった。
 手に汗握る緊張の数分間が過ぎて、鐘楼近くの大通りに着いた。こういう体験は日本では遊園地以外ではそうそうできるものではないと思っていたら、チューハイ飲んで東名高速の乗客を恐怖のどん底におとしいれた高速バスの運転手がいた。大らかさに乾杯!
 近くのデパートの地下で軽食をいただく。そこで、麺の話。

<岐山麺>
 市内のあちこち小さな食堂が沢山ある。その中でわりと目についたのが「岐山麺」という看板だ。通訳の薛さんによると、岐山地方の郷土料理のような麺なのだそうである。
 鐘楼の脇のデパートの地下の食べ物コーナーに岐山麺があった。西安最大のデパートという感じのところの地下なのだが、電灯がなんだか暗くて陰鬱だ。しかもフロアの隅のほうに位置しているし、中国食堂の例にもれずお客に美味しく食事をしてもらおうという内装の工夫なんか全くないから、食べる前から美味いはずがないという確信を持てる。
 中国どこでも出っくわすのがアクリルボードに遮蔽された調理室である。ボード越しに食材をながめると、真っ白いうどんのようなもの・しらたきのように透き通ったうどんのようなもの・日本のソバを2段階くらい黒っぽくしたものの3種類があった。売り子のおばさんに一杯欲しいと態度で示すと、これらのうちいずれかの麺を選べというのだ。西安まで来てうどんやしたらきなんていやだ。特に後者は気持ちが悪い。ということで、純粋な物珍しさから真っ黒なソバを選んだ。
 おばさんが渡してくれたどんぶりには、豆腐なんかを入れるために日本のスーパーでトイレットペーパーのようにぐるぐる巻きになって供給されているポリ袋が被さっていて、その上に麺が盛りつけてある。つまり、どんぶりを洗う手間を省くためにカバーが掛けられているというわけだ。ヒトをばかにしているね。
 そこで問題の岐山麺。汁無し麺が盛りつけてある。おつゆは底のほうに若干。そして麺の上にはおろしニンニクと細切れニンニクれがトッピングされている。
 味はというと、書かないほうがいいだろう。西安へ行ったときのおたのしみにとっておいたほうがいいと思う。酷くまずくはない。事実、私は少し残しただけで食べてしまった。
 しかし,だ。ニンニクがふりかけられたこんな変な麺を,しかもこんな倉庫のすみっこのようなところで若い男女が食ってるというのは光景としてなんか不思議。

 初日はそのあとイスラム街散策。そのお話。

<イスラム街>
 西安にはイスラム教徒がたくさん住んでいる。たいして厳格な生活をおくっているわけではないらしいが、それでも男は白いキャップをかぶり、女は布きれで頭を丸く覆っている。豚肉は食べない。
 西安へ着いた当日、イスラム街を歩いた。西安城の中心である鐘楼から西門に向かう直線道路の北側にイスラム住民が多いらしい。鐘楼の西北にはついこのあいだできたばっかりの小市民根性丸出しのこじゃれた広場があって、その先に鼓楼がある。鼓楼をくぐったところに清真大寺というイスラム寺院の周辺や西側がイスラム街になっている。イスラム街と言っても何か物珍しい建物があるわけでもなんでもなく,そういう住民が沢山住んでいるということにすぎないから,漫然歩いているだけでは汗くさい下町にすぎない。
 鼓楼をくぐると左側はすぐに門前町の土産物屋の密集地帯だ。左に入る路地があって、そこに入り込むと自然に清真大寺にいたる。路地の左右は凡て土産物屋で、置いてある商品は示し合わせたかのようにどこも同じ。ニセ古銭・毛沢東バッジ・毛沢東ライター・美女トランプその他、どれもこれも同じもの。浅草の仲見世だってまあ同じようなものだけれど。
 面白いのはそんなところではなくて、イスラム連中が住んでいる街の中である。お土産街を過ぎてお寺の前を通ってその先へ行くと、そこから先がイスラム街の中心部だ。
 片側1車線というと褒めすぎで、両側あわせて1車線半くらいの車道の両脇に割合広めの歩道がある。それが、凸凹だったり狭くなったり無くなったりしながら、ずっと続いていくのである。特徴的なのは,車道も歩道も小汚いこと・羊肉料理屋が沢山あること・西瓜を満載した荷車が道ばたに停まって商売していること・天秤棒を担いだライチ売りがうろちょろしていること・白いキャップの老人がぼーっとしていること,等である。
 話は変わるが,今回の旅行ではシルクロードを歩いた。れっきとしたシルクロードである。唐のみやこ長安はシルクロードの東側の終点になっていて(しかし日本が終点という気がしないでもないが),そこから西にはるか続く街道がシルクロードということになっている。で,西への出発点が西安城の西門(=安定門)である。西門の西側を300メートルほど歩いた。いやー,シルクロードですね,しるくろーど。歩いてみないとこの感覚はわかんねえだろなあ。この排気ガス。
 また話は変わるが,イスラム街にしろ何にしろ,最も特徴的なのは,人が道ばたに大勢いることだ。これが繁華街だったら通行人が多いのは当たり前だからおかしくも何ともないが,地元の商店街兼生活道路の歩道にイスをならべて,何の用事があるとも思えない中高年の男女がたむろしているのである。中国将棋や麻雀やってるのもいればトランプやってるのもいる。歩道の共同水道で子どもを洗ってるのもいるし鍋だの釜だのをあらってるのもいる。地元の人たちの生活領域に入り込んだみたいで若干いごごちは悪いんだけれど。まあ,ここではこんなふうな生活なんだね。午後になるとみんな家から出てきて一緒になってヒマをつぶすんだろう。
 自分の家が快適でないこともあると思う。どの家もどの家もガラス窓がきれいなところなんて無くて,広いとも思えないし,そんな中で数時間を過ごすよりも,家の前に出てきて近所の人や通りがかりの人と話をするほうがそりゃ面白いだろう。連れだって飲み屋に行く習慣がない中国だったら,麻雀やトランプはいい暇つぶしのネタだ。

 2日目の朝食はホテルのバイキング。準備された料理の量は豊富なのだが、いかんせん客が少なすぎる。2組しかいない。この日だけが特殊なのではなくて、ずっと2組3組だった。あまった食べ物はどうするんだろう。いつも疑問に思う。
 この日最初に、秦の始皇帝の兵馬俑坑観光。大雨による出水で車が通れず、迂回しながら到着。これは世界遺産でもあるし有名すぎる場所だから、ここで書いてもしょうがない。
 帰りながら秦の始皇帝の陵の前をとおり、お昼ご飯のレストランへ。よくわからないうまくもない料理を堪能してから、午後は華清池観光。玄宗皇帝と楊貴妃が淫ら三昧にふけった場所。そんなことよりも、西安事変のとき、蒋介石が張学良に捕まった場所としてのほうが興味深い。壁にはそのときの弾痕がある。ここもたいていのツアーには組み込まれているけど、池の周囲を歩いただけでは何も面白くない。たいしてキレイでもない池や半裸の楊貴妃像、玄宗楊貴妃の風呂場の石組みなんか見ても、すげえなあなどという感慨は起こらない。どうせなら少々時間をかけて、池の背後の山の斜面にずっと続いている迷路のような石組みを歩いてみるほうがいい。蒋介石が捕まったのも山の斜面だった(ホントにここでいいのかな)。
 そのあとはホテルに戻り、夕方、餃子宴の夕食ということでレストランへ連れていかれる。餃子は美味くない。皮がねとねとしてしまっている。ただし、そのあとオプションで入場したダンスと演劇ショーは、まあ悪くはなかった。踊り子さんの体の動かしかたが妙なあんばいで珍しかったのと、ラッパ(チャルメラ)男の芸が良かった。この男、大小のラッパを吹いていて、たしかにすごいテクニックだ。曲の途中で口からラッパを離したと思ったら、口だけでラッパと同じ音色を出し続けやがった。これは見事。
 ガイドの薛さんはちゃんと仕事をしてくれた。最初店員に案内されたのはコーカソイドの親子がいる丸テーブルだった。薛さんが店員と何事か話してから、別の席に我々を案内させた。「この席はアメリカ人と一緒で良くありません!」と言っていた。相席のお相手が誰であれ相席自体が嫌だけどね。

 次の日は、歴史博物館と大雁塔その他の観光。歴史博物館はおいとこう。

<大雁塔と小雁塔>
 西安を含んだツアーで大雁塔をはずしたのはないだろう。長安のころ三蔵法師が天竺から持って帰った経典を納めたのが大雁塔というわけで,何重にも重なった60メートルを超すレンガ造りの塔は写真にもよく出てくる。安録山の反乱のころから後,すいぶん荒廃してしまったということだが,今では整備されすぎと断言できるくらいに整備されまくっている。お寺の正門の前まで行ってみると,大雁塔だけが一見古いだけで,あとの門だとか周辺の付属物などはついさっきできたばっかりという感じである。正面の三蔵法師のブロンズ像なんて新品だし,その前を気がおかしくなるくらい遠くまでまっすぐに伸びる自動車道路や公園なんていうものも立派すぎて興がそがれることはなはだしい。薛さんに「この道路はどこまで続いているのか」とたずねたら,「山までです」と確信をもって答えてくれた。
 で,大雁塔そのものである。入場料とは別料金で登ってみようというわけで近寄ると,塔の表面は積み重なったレンガが結構美しくて,古くはあるのだがきれいで,それはそれでいいとしよう。問題は中身である。これはどうしたものか。きれーいに壁が白く塗られていて,真新しいことこの上ない。できたばっかりという感じ。大阪に聖徳太子が造った四天王寺があるでしょう。多くの人はそこの五重塔に登ると思うけれど,あそこみたいなものだ。内部の造作は全く違っても,四天王寺の五重塔ほど寒々しくもないけれど,無味乾燥で無機的な内部だ。台湾にコンクリートでできた虎や竜のでっかい作り物があって,口からその中に入ることができるのがあるけれど,あんな感じ。ありがたくもなんともない。修復される以前は,内部ももっとワイルドな作りだったに違いないが。これではばかでかいセメントの置物と何ら異なるところはない。修復のされかたが悲しい。素朴な疑問だが、この塔のどこに経典を納めたのか。そんな場所ねーよ。
 対して,小雁塔。大雁塔と博物館の観光から帰ってきて、ホテルから歩いて行ったのだった。これは文句なく推薦できる。ツアーにはほとんど入っていないようだが,これは行くべし。行って最上段まで登るべし。何が違うといって,コンクリートの遊具のようなものになってしまったシロモノと崩壊しかかったままというものとは,そもそも迫力が違う。前者は観光客ばっかりで物売りも大勢いて賑やかなことすごいけれど後者はほとんど人などいない。外形的にはエッジがあちこち崩壊していて実に日本人好みにシブい。崩壊というのはウソではなくて,昔の地震で縦まっ二つに割れ目ができてしまった。その写真が資料室のようなところに展示してある。そして,塔の最上段3層くらいが,その地震によって崩壊したまま,現在でも修復されていない。だから遠目にもてっぺんの部分が不整形に崩れているのがわかる。
 入り口からしていかにもやる気がねーよ的な青年が飯食いながら門番していたりして演出もすばらしく,観光客相手でないことが良く分かる。大雁塔は各層ごとに部屋ができているわけではなく,塔の真ん中の階段室を中心に,各層の4方にあいている窓に通じる空間があるだけだから,階段を登るごとに何層目の部屋まで来たという実感はわかないのだが,小雁塔では各層ごとにレンガ積みの耐力壁でできた部屋のようなスペースになっていて,それが層の数だけ重なっている。だから,下の層の部屋は割と天井も高くてまあ面積も広めではあるが,上に行くにつれて天井は低くなり面積は小さくなり,床スレスレで2方向に開いている窓のような開口部分は縦も横もどんどん小さくなっていき,その閉塞感にはひどいものがある。内部に内装なんていうものは無くて黒いレンガむき出し。電灯はあくまで暗く,雰囲気造りにも余念がない。上に行くにも下に行くにも階段のための小さな出入り口しか存在しないもんだから,閉所恐怖症でなくてもいたたまれなくなる。「獄」だ。
 屋上というか,以前は最上層に近いところは今では崩壊のおかげて屋上のようになっている。小さくて急な階段を登って潜水艦のハッチを四角にしたような穴から体を引き出すと屋上に出ることができる。これはすがすがしい。崩壊したレンガはそのままになっていて,鉄でできた柵越しに四方を眺めることができる。眺めて実際には面白い風景など一つも存在しないのだが,それでも気分だけはいい。
 できたのは710年のちょっと前だというから,奈良時代の始めのころの建造物と思えば間違いはない。仏塔は中国各地に沢山あるけれど、ストーパとはこういうもんかを体感できる貴重な遺物だ。

 その夜は中国しゃぶしゃぶの夕べ。車でホテルから連れて行かれた。その前に西安城の西門や鐘楼も行ったのだが、これはどーでもいい。中国しゃぶしゃぶはまあうまかった。加えて、外語学院3年生で日本語検定1級に合格したという21歳のしゃぶりつきたいくらいに可愛い女の子がドライフルーツの押し売りに来て、これも面白かった。
 夜はテレビを見てから寝た。そこで、テレビの話。

<テレビのコマーシャル>
 ホテルで見ることのできたテレビのチャンネル数はあまり多くはなかった。でも,東京都多摩市の我が家のチャンネルよりも多かった気がする。
 それはともかく,気が付いたのは薬のコマーシャルが多かったことだ。えぐくてインパクト有りすぎ。
 第1に,子ども向けのドリンク剤のコマーシャルが連続して何回も放映されている。その内容がすごくて,3歳くらいの男の子の身長を両親が測りながら子どもにドリンク剤をぐいぐい飲ませるのだ。この両親というのは見ているこっちが恥ずかしくなるようなドレスアップしたプチブル男女で,いかにも中国の新中間層なのよといった感じである。
 別のやつは,1歳の子どもにドリンク剤を飲ませると,すぐに漢字カードを並べ替えて賢いところを見せるようになるという内容だ。ガキは<我愛媽媽>と最初にカードを並べていて,そのあと<媽媽愛我>などと並べ替える。
 第2に,飲むと,脳膜炎から結膜炎・子宮内膜炎まで,炎と名の付くものは全て,ありとあらゆる炎が治ってしまうという薬。すごいなあ。飲むと5日で体全体が真っ白になるという激烈な美白効果のある新薬完成というのもあった。薬事法はねーのかよ。やせ薬なんか買わなくてよかった。

 翌日は自由行動。思い出は尽きない。午前中に行った巨大スーパーマーケットもよかった。客を見たらドロボーと思え的なシステムや店内カートの搬入もすごかった。前者は、カバンとか袋物を持ってスーパーの店内に入ることを禁止するというものだ。客はスーパーの店内に入る際に、入り口のところにある手荷物預かり所にそれらを預けなければならない。そして小さな預かり証明のチケットをもらうことになっている。これは2箇所のスーパーでも1箇所のデパートの地下食品売り場でも鐘楼横の大きな本屋でもそうだった。おいてある商品は貴金属ではない。野菜とか缶詰とかポテトチップだ。そんなもの、手荷物預かりの人件費をかけてまで防衛する必要あんのかよ。人件費は限りなく安いんだけど。
 思い出してみると,中国の伝統的な小売店というのは客が商品に直接手を触れることができなかったわけだ。ここでは手にとっていいよというわけだが,「そのかわりお前らカバンを持ち込んじゃだめだよ」ということなのだろう。やっぱり客=ドロボーという感覚だ。
 後者は迫力ものだ。3階建ての巨大スーパーは店内の買い物カートがどのフロアも移動自由になっている。で、最終的にはレジのある1階に集中してくるわけだが、それを2階3階へ戻すやりかたがすごかった。ちょうどそのとき1階エスカレーターのところに居合わせたのだが、叫び声が聞こえて振り返ると、50台くらいムカデのように連なったカートを、二人の店員のうち1人は前にもう1人は後ろに手をかけて,遠くのほうからすごい勢いをつけてエスカレーターに突撃させたのだった。
 午後、一度ホテルに戻ってからちょっとの間の外出のときの昼食も思い出深い。以下のとおりである。

<失敗の麺>
 7日の日曜日は一日中市内の散歩ということにした。そういうわけでお昼に何を食べようかということが問題になるんだが,ここはやはり観光客用のレストランなんかではなくて,町中の地元の連中ばかりが利用するような小さな汚い食堂に行ってみたい。汚いというのは余計な形容のようにも思われるが,どれをとってもそういうところは一様に汚いのだからしょうがない。
 で,ホテルを出て,長安大学のほうへ歩いていった。ホテル周辺は西安城つまり中心部からはかなり離れたところなのだが,どこもかしこも人だらけ。恋人さんや物乞いさん。携帯電話を133元で買いますという段ボール製紙看板を前に置いてしゃがみ込んだ人,英語教えますというのを置いてしゃがみこんだ人。なんとなくしゃがみ込んだ人など。一人オーケストラや物乞いウオッチングも話は尽きないのだが、これは書かないでおく。
 ケンタッキーをすぎて50メートルくらい行ったあたりで折れた左側に、いくつか食堂が並んでいるのが見えた。店の前10メートルほど離れたところからしばらく様子を見て、店の前にいるあんちゃんが呼びかけてきたところで,「まあいいや,失敗してもどうせ安いんだし」と店を決めた。この店に決めた,というよりも,もうしょうがないや,というニュアンスの決断である。
 入り口には天井から透明な厚めのビニールでできた長い暖簾が下がっている。冷房の効果を長持ちさせるための工夫だ。触れるのも気色は悪いが我慢してかき分ける。店に入るとき、あんちゃんは、「坐(ツオウ)!」と言っていた。
 結果を先取りして書くと、ほとんど残したにしてもうれしい。食えたもんじゃなかったけどうれしい。ビデオがあったら全編見せてあげたい。
 広さというと8階の弁護士室の半分くらい。ここ最近拭いたことがないようなテーブルが4つ置いてある。日本ではどこでも見かけなくなったテーブル。30年くらい前なら田舎食堂で使っていたかもしれない。テーブルの上にはどういうわけかB5の大きさのプラスチックの平たいカゴがおいてあり,捨てるのにも困るようなニンニクのかけらがいくつかころがしてある。
 で、内装だ。失礼ながらこれが中国食堂の不潔感を増幅させる原因の一つだと思うのだが,壁一面が白いタイル貼りなのだ。何かお風呂とか洗面所とかをイメージさせるし,トイレみたいな感じもする。それがきれいならまだいいのだが,まだらに汚れていたり床との継ぎ目にシミが目立っていたりと,タイルの白さが逆効果になって不衛生という印象を与えるのだ。
 それと、びっくりしたのはメニューがあったことだ。こういうところは普通メニューなんかないし,たいていは壁に料理の名前が書き殴ってあるだけなのだ。メニューを見て注文できたのは,まず菜っぱの炒め物。メニューの上での名前は読めなかったけれど,どう悪くころんだって菜っぱには違いないということだけは読みとれたのだ。ちょっとしょっぱかったけれど,まあ食べられなくはない。これだけだときびしいかも。
 次は麻婆豆腐。四川料理の店だとは思わなかったのだが,メニューにあったので注文した。結果,全体の味付けというと,麻辣味が極端でかなりすごい。少しばかりつまんで食べると味がそれぞれ違っていて,ある部分はほんのり辛いだけ,ある部分は山椒がきつすぎて口全体がしびれるような味,ある部分はただただ塩辛いだけ,というしろものなのだ。これ全体をご飯の上にかけてしまって麻婆ライスにしてしまえば良かったのかもしれない。
 問題はそんなところにあるのではない。最後に選んだ麺である。食えたもんじゃないと書いたけど、少なくとも思い出つくりの役には立った。「なんとか涼麺」というのをメニューで指さすと,「なんとか没有(メイヨー)」という返事がかえってきたのだった。それでもってしかたなく,まるで意味不明の麺=丁丁麺を選んで注文したのだ。こういうのは実はものすごく危険であることくらい分かっている。得体のしれないもんが出てきてびっくりしたという経験はこれまで1度や2度や3度や4度ではない。しかし,まあ,小椀で4元だから,多少まずくともびっくりしても,まあいいや,というくらいの気持ちだったのだ。
 しかし,なかなか出てこない。菜っぱと麻婆豆腐だけをちまちまと食べながらずっと待っていた。味付けからしてこういうのは食べづらい。
 麻婆豆腐が3分の1を残すくらいになったところで出てきた。それを見て,たまげた。
 まず量のこと。A4の用紙というものがあるでしょう。それよりもう少し大きいくらいのステンレス製のバットに山盛りいっぱい出てきたのだ。なにが小椀なものか。しかも汁無し麺だとは予想していなかったから、この点でも驚いた。小振りのお椀によそられたうどんのような汁有り麺しか予想していなかったのだ。どんなにまずくたって変なトッピングがあったって、ちゃちゃっと食べられると思っていたのだ。
 さて、その麺である,まず,20年前の田舎の喫茶店のスパゲティナポリタンを思い描いてほしい。それが上記のバットに大山盛りになっている状態をまず思い描く。次に,その麺を取り替えてみる。名古屋名物の味噌煮込みうどんというのがありますね。あの麺はどういうわけか非常にかたい。その麺を,マカロニくらいの長さにぶつ切りにする。そうすると,断面が四角な,穴のあいていない、やたらと堅いぶつ切り麺ができあがる。あくまで手打ちである。だから,太さや堅さ・幅にばらつきがあるのだ。さて,これを上記の麺と取りかえる。これでだいたいイメージができあがった。こういうぶつ切り麺がナポリタンの色に染まってバットに山盛りになっているのだ。もう一つ事実に近づけると,使うナポリタンソースだかケチャップだかの量を半分くらいに押さえてみよう。するとほぼ正確にこのわけのわからない麺が再現できる。薄くケチャップ色が着いたぶつ切りの堅い麺がA4大のバットに山盛りになっている。こんなものがこんなところで出てくるとは思わなかった。(実は、夫婦で一皿ではなくて、各自一皿すなわち合計2皿注文したのだった。)
 まあ、うまければそれでもとにかく昼食にはなるからいいんだが,これがまたすごくまずい。えもいわれぬまずさだ。薄いトマトケチャップ味の堅いブツ切りうどんなんて想像もできないだろう。とにかく「おそば」などというものではないから,のど越しで味わうみたいな食べかたは不可能。1片をつまんで食べてみるにしても、むしゃむしゃと咀嚼しないといけないし、そうすると味が感じられてしまって胸くそが悪くなる。なんで中国西安まで来てこんなものを食べなければならないんだ。
 大きなスーパー2軒に入ってみたけれど,どちらにもスパゲッティやマカロニの乾麺は売っていなかった。おそらく西安市ではイタリア料理の素材など手に入らないのだろう。そこを無理矢理イタリアンのようなものを作り出したのだと思う。とにかくケチャップ味だし,タマネギやピーマンが混ざっているし,中国風のお椀ではなくてステンレスのバットなどというへんてこなものに盛りつけられているのだから,イタリア風を気取った作品に違いない。努力だけは評価することにして,夫は4分の1ほど食べて、妻は3切れほどつまんだだけで、あとは放棄した。ごめんね。でも,ここまで努力するのならイタリア名とかなんかでも書いておいてほしいな。

 その他の街並み見物をしながら1日が過ぎた。夕食はホテルの近所の台湾料理屋で済ませた。帰る日の午前、今回の旅行でいちばんやりたかった西安城の城壁サイクリングを楽しむことができた。

<西安の城壁>
 西安市の中心部分はレンガでできた高くて厚い壁で取り囲まれている。中国のおもだった古代・中世都市は皆こういうものらしい。朝鮮半島でもそうだ。もちろん外部に対する関係では防備という目的があるから,目的と効果からしてみれば壁というよりも城壁である。だから西安城であり,難攻不落の唐のみやこ長安城なのだ。日本で城壁というと天守閣のあるお城の構造物としての城壁である。西安のように都市全体を取り囲んだ城壁などというものは想像外のしろものである。
 全体の規模としては,外周16キロだか14キロだか。フォルムとしてはA4だのB5だのといった紙を、長辺を東西にして拡大したようなものである。その外周部分が高さ16メートル厚さ14メートル(だったかな?)のレンガ造りの城壁になっているわけだ。黒くていかにも堅そうなレンガ。現存のものは明代のもので,ほぼ修復してある。しかもさらにその外側には堀が巡らしてある。西安駅の前のところ(紙の右上の部分)が300メートルくらいに亘ってすっぱりと切り取られているのは残念だが,元に戻せとも言いにくい。唐代の長安城はもっともっとおおきなエリアを包含していたということだけれど,これは現存していない。西安に行ってとにかく登ってみたいと思ったのはこの城壁だった。兵馬俑坑なんか写真で見りゃいいんだ。
 城壁のそばまで行ってはるか遠くを眺めると,先のほうは霞の向こう側に消えてしまっている。何キロメートルもの彼方まで城壁が続いているせいもあるけれど、消え入ってしまうのは東京など比較にならないほど酷い排気ガスのせいである。
 城壁の上への登り口は結構たくさんある。代表的な観光ルートだと,あちこちにある城門のうちの南門とか西門。こういうところには砦みたいな構築物があって,現在ではその広場のようなところが駐車場に利用されている。西門などは昔々はシルクロードへ旅立つ人の壮行会とかの宴会場に利用されていたんだという。そのほかは城壁の内側の壁にへばりつくように造りつけてある階段が登り口である。外側に登り口があったら城壁にならないね。あちこちにあるとは言っても1キロとか2キロに1カ所の入り口だから,どこでもすぐに登れるわけではない。
 今回登ったのは,西門のところと南門のところ。
 南門の石造りの階段は急でもなく緩やかでもなく。城壁の上に登りついて最初にしなければいけないことは、どこまでも続く城壁を眺めることである。眺めると、やっぱり城壁は霞の中に消えているのである。これは壮観ですぜ。万里の長城というのはまだ見たことがないけれど,あれもこういうものなのだろうか。よくもこんな構築物を造ろうと思うものだ。
 こういうところへ登ってやってみたいことといったら,ずっとむこうのほうまで行ってみるということしかない。ともかく全てこの目で見たいしどこまでも行ってみたい。できればぐるっと一周したいのだが、物理的に不可能であることは承知している。だから可能な範囲では全部やってみたい。
 しかし徒歩では無理だ。きれいな木々に囲まれた優雅な散歩道であるならゆっくりと歩いて行くのもいいかもしれない。しかし,数キロメートルもあくまでほとんどまっすぐ続く炎天下のレンガ道なんて誰だって嫌だろう。そこで,自転車でもないかと見渡すと,あるんですよ,これが。1人乗り・2人乗り・3人乗りの自転車。そして8人乗りくらいの電気自動車。
 お勧めは1人乗りの自転車である。電気自動車は楽であることは確かだが、こんなものは乗り合いバスの小さなものだから,城壁の中央を漫然走るだけであって,そんなんでは城壁から都市の内外を眺めることは不可能である。城壁の上のエッジ部分は1メートル以上のレンガが積まれているのであって,そこからのぞき見るようにしないとすぐ下の光景は見ることができないのだ。複数タンデムの自転車だと、気が付いた風景のところに機敏にストップすることができない。だから,1人乗りの自転車が最も利用価値大なのだ。
 料金は1台1時間10元。デポジットが1台あたり100元。ブレーキの利きはあまり良くない。しかし観光客密度の極めて希薄なこんな城壁の上で,急ブレーキを使うことはまずありえない。だから大丈夫。それよりも心配なのはパンクである。これは走り出してから気が付いた。というのは,城壁の上には煉瓦が一面に敷き詰めてあって,それが舗装道路のように真っ平らだったらともかく,ところによっては結構な凸凹のためにガクガク手がしびれるような乗りごごちなのだ。だからパンクしそうな気配があってちょっと心配な部分がある。しかもここは中国だ。
 しかしまあ,爽快は爽快。ごみごみした周囲のレンガ建物を見下ろしながら,まっすぐな城壁の上を走るのである。中国の西安まで来てこんなことやってるんだなっていう気持ちはGOOD。日差しを遮るものは何も無いから直射日光は痛いほどなのだが,湿度が低いために体感的にはそれほど熱くない。これはたすかる。50分くらい走って帰ってきた。東門のところで柵に遮られてそれ以上進めなかったけれど,気持ちだけはよかった。これをやりたかったんだ。なお、ところどころにトイレはあった。ちょっと覗いてみたらトビラもあった。

 こんなふうに西安旅行は無事終了。航空券やホテルを自分で手配するのが理想だけれど、今回はツアーで良かったと思う。なにしろ見所は西安郊外で遠すぎて、自力でたどり着くのが容易ではないから。予算的にもずいぶん低めで終わった。
 8日の午後11時過ぎに帰宅。

あれはまだフランの時代

パリで何を飲んで食ったか     1999/1/2-9

1 タイ料理のテイクアウトの店のチャーハン
1月2日の夜は翌日からの行動にそなえて早めにひっくりかえって寝てしまおうと思い、小さな店でハイネッケン3本を買い込んだ。何なのかわからないような店で、雑貨屋というのもあたらないし、酒屋かというとそうでもない。チーズや酒を間口も奥行きも3メートルくらいのスペースで売っている。日本ではちょっと見られない商売だ。あまり品の良くない中年男が2人店先でぼーっと外をながめていた。チーズと酒屋なのだと言ってしまえばそれまでだが、良く分からない。
腹も減っていたのでほんとうはビールばかりでは不満である。とはいっても温ったかいつまみのある一杯飲み屋なんか無い(カフェにちょっとくらいのつまみはあってもフランス語がじゃまをして敷居が高い)。買い物に出かけたのは夜の8時すぎのことだった。この時間でも開いている店がいくつかあって、のぞくとパン屋や肉屋。店の前には行列ができている。うまそうだなあ。肉屋のウインドーの先にはジビエというやつだろう野鳥の死体がぶらさげてあった。どういうわけか在庫の肉類の赤さがどれも濃く見える。照明のかげんだろうか。陳列のしかたもランダムで美しめだ。ハムなんかもあるから酒のつまみには望ましいところなのだが、しかしここでも言葉の問題がある。こういうものは量り売りに違いないからフランス語で量を表現できなければどうにもならない。おおぜいの前で混乱を極めるという事態はちょっと避けたい。まして今日パリに着いたばっかりなのだから、めんどくさいことはできるだけ避けたい。
そんなことを考えて歩いていたらタイ料理の持ち帰りの店がみつかった。間口2メートルくらい、奥行き4メートルくらい。ガラスケースの中に炒め物や煮物が何種類もならんでいた。そしてラッキーなことに店番は丸顔の若い女性であった。<タイ料理なんだからタイ人>ともかぎらなかろうが、そんなかんじの人で、清潔なショートカットが好ましかった。というわけでその店に入り、身振り手振りでチャーハンをパックに入れてもらい電子レンジで温っためてもらった。量の問題はパックをもったお姉さんの「これくらいか?」という身振り手振りのおかげでなんとかなった。
うまかったね。タイ米だからなんとなく軽くて頼りない食感だったけど。ひさしぶりの長粒種のご飯だもんだから、味というよりも「こういうチャーハンをパリくんだりまで来て食べているのだ!」という感慨のほうが大きかったのかもしれないけど。
もっといろんなものを温っためてもらうんだった。春巻きも何種類かあったんだし。
この店の手前の魚屋の店先には牡蠣が積み上げてあった。生牡蠣も食べたかったけれど、今夜はあきらめよう。

2 モンパルナス駅のサンドイッチ
1月3日は朝から歩きどおしだった。ホテルを出てモンパルナスの墓地で墓参りをすませたら、もう午後2時。とたんに何か食べたくなってきた。このあともずっと歩き続ける予定だったので、短時間に簡単に食べられるものを捜した。そしてモンパルナス駅3階になるのかどうなのか判然としないフロアの売店のサンドイッチに目をつけた。そのときとても寒くて、本当は立ち食いうどんがいちばん望ましかったのだが、ここの駅には無いし、しかたなしに温かくないもので妥協するよりほか無かったのである。
はっきりいってあまり気はすすまないのだ。食パンの白身の部分でできている上品なサンドイッチならまあ良かったのだが、しかしそういったものはショーケースの中には無かった。あったのはホットドッグ向けの長いかたちをしたパンを切り裂いたところに具を詰め込んだものだった。こういうのはもちろん日本にもあって、Sで始まる名前のもっぱらそういうスタイルのサンドイッチを扱う店のものなど、しかたなしに食べたことはあっても、うまいと思ったことは一度もない。選択できる具としては、レタス・玉葱・トマトを基本として、その他ハム・チキン・ターキー・ベーコンがオプションとして用意されているのだが、どれを選んでも全て同じ味なのである。おそらく、パンと具の体積比、とりわけメインの具であるハム等の分とパンとの体積比に考え違いがありすぎたために具の特徴が消し飛んでしまっているのだと思う。せめてパンの味がよければ救われるのだが特記すべき味わいはまるでない。食べ終わっていだく感想は、ようやっと食べ終わったなあ、という動物的な充足感のみなのである。かなしいよね。
だから当然この駅のも気はすすまないわけだ。26フランで、日本円に換算すると約500円強といったところだが、ま、うまくなくとも異文化体験としては貴重であるし、まずかったらそのことを記憶にとどめてさっさと捨てようと考えた。
スタンドは本来の駅のお客さんでいっぱいだったから、駅前の広場に出て、ちょっと風が強くて寒いけれどがまんして食べることにした。モンパルナス駅とモンパルナスタワーにはさまれて、かなり目立つ場所なのだ。そんなことをしている人はだれもおらず、ほんの少しだけ恥ずかしかったが、いいや。
売店のお兄ちゃんから受け取ると、大きさの割にとても重かった。どういう密度になっているのだろう。広場に出て袋から出してみると、表面がえらく固い。食いちぎれるんだろうか。
味に期待していないことは上記のとおりだが、頭あるいは尻のあたりからともかく食べはじめた。するとたしかに表面は固いのだが、よくあるフランスパンのように食いちぎるのも難儀というものではない。そして、味は、そこそこにうまい!
具はトマト・レタス・玉葱の薄輪切り・ハム・ゆで卵の薄輪切りだから何の変哲もないものばかりだが、サンドイッチを食べているという味がちゃんとするのだ。こういうと消極的な物言いになるが、まあサンドイッチなんてどんなにうまくたって限度があるから、そこそこにうまいということはサンドイッチの役割をきちんと果たしているということである。分析的に味わうと各具それぞれの個性が生き生きとしているなどということは全くなくて、誰もがサンドイッチとはこういう味だと考える程度の渾然一体となった味ではあるが、所詮そういうものだろう。サンドイッチなんてもともと深く味わって食べるもんじゃないよね。
長さは30センチ弱程度あるから、とても食べきれないだろうと思っていたが、どういうわけかほとんどいただけてしまった。
駅前の広場にはついに同類はあらわれなかった。そのかわり鳩がたくさんと雀が2羽寄ってきたので、パンのくずをなげてやった。のろまな鳩に比べると雀は小回りが効いてすばしっこかった。ちょろちょっと立ち回っては鳩のくちばしの寸前でパンを奪っていた。それにしても雀が寄って来るっていうのは愉快なもんだ。
このあと、駅からサン・ジェルマン・デ・プレのほうへずっと歩いた。そのあいだじゅう上口蓋部に受けた傷がひりひりして往生した。安心しきって思いきり咀嚼したのがいけなかった。想像以上にパンの表皮のエッジは鋭かったのだ。上下逆さまにして食べることをすすめる。

3 モノプリで買ったおかず
昨日に引き続いて4日も歩きどおしだった。無理をしすぎて足を痛めた。ブローニュの森の縦断がいけなかったのだ。凱旋門にたどり着いたときは左膝が痛くて痛くて、階段を降りることができなくなってしまった。そのあとバスに乗って、その日の行動を終えたのがバスティーユ。ここの近くのモノプリというスーパーで夕食の算段をした。
買ったのは、スモークサーモン(16・8フラン)、生ハム(18・7フラン)、カマンベールチーズ(16・2フラン)、シャンパン(84・5フラン)。その後、メトロ8番線でホテルへ戻った。
さて味であるが、その前に値段である。サーモンは安かった。もちろん量にもよるわけだが、買ったのは大ざっぱに言って一人で食べるには多いなあというくらいだから、日本円にして約350円という値段は驚愕ものである。生ハムも同様。ずらっとならんだカマンベールも同様で、なにしろ17フラン以上のものが無い。11月にSOGOで買ったのとおんなじのを売っていたが、約17フランだった。SOGOじゃ1300円くらいしたぞ!いくつもの銘柄がそろっていたシャンパンにしても、ちゃんとしたシャンパーニュのくせしてせいぜい3000円くらい。ドンペリなんかは9000円近いのがあったけどそんなのは例外みたいだった。購入したのは2000円しないものだった(おみやげに2本買ってかえった)。
そして味である。サーモンはちょっとしょっぱかったけど上出来。いささかも筋っぽいところがなく、舌触りもなめらかにいただけた。生ハムは表面がロウのような舌触りだったのが難点。それにしょっぱすぎる。カマンベールはとてつもないにおいの割には味もそっけも無いというハズレものだった。腐敗臭と形容しても大げさではなく、朝、窓をあけはなって空気を入れ替えたほどだ。シャンパンは良かった。国内で2000円くらいとなると荒っぽい果実味の残った発泡ワインということになってしまうけれど、これはそういうことは全くないところがさすが。2時間くらいであけてしまった(ただし、シャンパンはきちんとした味があることがかえって裏目に出ることもある。日常的に飲むにはビールのほうが味わいが薄くて個人的には好きだ)。

4 オルセー美術館の「ゴッホとミレーの食べ放題」
5日は朝10時ちょうどから午後3時45分までずっとオルセー美術館にいた。収蔵品はともかく、問題は何を食べたかである。カルトミュゼの3日券を買ってあるからいつ外へ出て食事をしてもいいわけだが、なにしろ足が痛いからあまり動きたくない。だから昼食は美術館内の食堂ということになる。
ここでは「ゴッホとミレーの食べ放題」という趣旨不明のものを注文した。それとは別にミネラルウオーターも頼んだ。しめて120フラン。
要するにこれはバイキングであって、なんというか、まずいパーツの寄せ集めみたいなしろものだった。①パンはカゴにはいったものがいやおうなしに供されるから選択の余地無く可もなく不可もない、②野菜はレタスくらいしか用意されておらずつまらない、③肉っぽいものはハムが2種あるだけでマズくはないにしろ口が飽きる、④ポーチドエッグの陸に揚がったものとゆで卵の薄切りがあって両方食べたけれど要するに卵でしかない、⑤鮭の姿焼きの断片を取ることができるがシャケはシャケであって特別の調理がしてあるわけでもなく感慨は無い、⑥鰯の酢漬けのコマ切れがボールに一杯あったけれど誰も取るやつはいない、⑦オリーブの実がどんぶりに山盛りになっていたけれど他に付け合わせるべきものは何も無く正面きって間が抜けている。
以上、120フランもするわりには不満が残りすぎるというものだった。しょせん美術館の食堂なんてえものはスキー場のレストランか立食パーティーの模擬店みたいなものなのだ、たとえここがパリであったとしても。デザートに出てきた3色アイスクリームも味がやけにしつこくて胸がむかむかしてきた。最もうまかったのは水である。ちくしょう!!

5 「上海」という名の中華テイクアウト
オルセー美術館のあとオランジェリーをハシゴするつもりで文字通り左足をひきずりながらやっとのことでたどりついたと思ったら、しばらく閉館という張り紙があった。くたびれはててホテルに戻り夕食を考えると、近所の店で調達するのが最もてっとり早いという状態になってしまった。ホテルはメトロ8番線の南の終点であるバラール駅のすぐそばに位置している。観光名所などは何も無くて、むしろアパルトマンばっかりの住宅地である。だから近所には食料品を扱っているちっちゃな小売店がたくさんあるのだ。そのなかに「上海」という名前の中華屋があった。店の構えはタイ料理のテイクアウトとかわらない。店に入ると、やっぱりここでも丸顔のやさしそうな東洋人のお姉さんが店番をやっていた。
話しかけられたけど何を言ってるのかまるでわからないから、小首をかしげてにこにこしていた。ケースの中を眺めるとどちらかというと実体が何かわからないもののほうが多かったので、一番無難なブロッコリーのソテー100グラムとチャーハン100グラムを頼んだ。もちろんつたない英語と「スィルブプレ」とのチャンポンで頼んだのだ。当然チャーハンのことは「チャーハン」と発音した。お姉さんも「チャーハン!」とおおきな声で応えくれた。しめて17・8フランだった。
やっぱりこのほうがうまい。オルセーの120フランのバイキングはありゃあいったいなんだったのだ。ただしブロッコリーは野趣に富んでいるというか何というか、日本のものよりも相当青っ臭かったけれど。また、チャーハンはうまいのだが、入っている野菜が日本のスーパーの冷凍食品コーナーにある「ベジタブルミックス」というのはいかがなものか?興がそがれることはなはだしい。
(6日の夜も「上海」でテイクアウトにきめた。このときはシューマイ5個とチャーハン。シューマイは「シューマイ」と発音したら、お姉さんはすぐに理解してくれて、同じく「シューマイ!」と応えてくれた。味は日本のと同じ。)

6 ルーブル宮地下ショッピングセンターの軽食屋
遠目には古めかしい石造建築にしか見えないルーブル宮はかなり現代的な美術館仕様に整備された内装に仕上がっている。近目にも歩いてもただの石畳としか思えないルーブル宮前のピラミッドの地下は、実は相当な面積をもった新しいショッピングセンターに改造されている。そこにはセルフサービスの軽食レストランもあって、なかなか便利にできている。たとえていうなら、マグドナルドのようなカウンターの店が何種類もならんでいる前に結構ちゃんとしたイスとテーブルが備えてあるといった感じである。ここにはルーブル鑑賞がてら3回かよった(ルーブル入場にはピラミッド前の行列を避けるウラ技があって、この方法はガイドブックにも載っているのだが、いささか分かりにくい。やってみるともうピラミッドの玄関口から入ろうという気はなくなる)。
3回を一緒くたに書くが、問題は2点あって、1点目は天井に書いてあるメニューが読めないことからくる注文の困難性、2点目はどれもまずいこと。
 ① 国籍不明料理のカウンターで注文したお皿によそってあった(たぶん)サフランライス。パサパサのポッロポロ。お皿をかたむけるとパラパラとこぼれ出ていく。こういうのはロンドンでも経験したからびっくりはしないが、しかし味が救いようもないくらいに悪く、しかもところどころカチカチにこわばった固まりが混ざっている。こういう「ご飯」をただちに飲み込むことはできないからまじめに咀嚼しなければならないのだが、良く噛んでも結局お米ひと粒ずつが粉っぽく粉砕されるばかりなのでまるでうまくない。塩味があればまだしも、それもない。おかずはどうかというと、次に説明する。
 ② 上記おかずであるところの鳥肉に火を通したもの。味が付いておらず、ぱさぱさ。ソースも無くて、とてもじゃないが上記のごときご飯のおかずにはならない。
 ③ 上記に付属していたレタスとトマトの微塵切り。これはそのものズバリの味がして、それ以外のなにものでもないという最低限の身分が保障されていたから、○。ところで、こういう取り合わせから推し量るに、鶏肉とライスとレタスとトマトを混ぜて食べろという趣旨のメニューなのであろうか。まさか・・・
 ④ 同じカウンターで注文したお皿によそられていた挽肉の焼き物。名前は分からないが、かたちはハンバーグそっくりで、それでいて原材料は挽肉ばっかりのような食感だった。ミディアムかウエルダンかを聞いてきたくらいだから少しは人手がかかっているのだろう。まずくはなかった。表面はかりっとしていて、口当たりはなかなかよろしい。肉の味がする。ただし、ソースは何も無いし、カウンターに準備されているのは小袋にはいった砂糖と塩と胡椒だけ。まさか砂糖はかけられないから塩と胡椒で食べたけど、味としてはなあ。おもしろいけど2度は食べたくないなあ。
 ⑤ 同じカウンターで注文したお皿によそられていた鳥カレー。あでやかな明るさのカレー色で香りも良かった。一口食べると単純な辛さにうれしさがこみあげてきたのであるが、しだいに甘さが勝ってきた。しまいにはものすごくしつっこい甘さが前面に出て、嫌になってきた。これはあきらかに砂糖を大量に使ってある。甘口のチャツネではない。この味付けはなにか巫山戯ているのだろうか?鳥肉はこれもぱさぱさで、小さく切ってあるじゃがいもはやたら粉っぽいから、カレーとしては失敗作だ。千切りの玉葱がフォークにからみついてくるので物理的に食べにくい。カレーじゃあないのではないかと思うむきもあるかもしれないが、注文するときに「カリー!」と言ったうえでよそってもらったのだから、あれはあきらかにパリで観念されるところのカレーであるのだ。
 ⑥ ピザのカウンターで注文したピザ4分の1。名前は分からず。全体として大きめだから4分の1といっても一人が食べるには十分。見た目はトマト味のソースとチーズがまだら模様に焼き上がっていて、とてもうまそうだったのだ。しかしこれがどうしてどうして、思い出に残るピザであった。まずピザの本体部分はかなり柔らかめのタイプである。これは悪くはないとしても、問題は次だ。見た目にはトマトの赤色とチーズのアイボリー色と若干の焦げ目がひろがるだけだから、とくに警戒心をかきたてるような事情は見当たらない。しかしいざ食べてみると3口目にして、チーズと見えたところが実はただの下地にすぎなかったことに気付く。要するにトマトソースがいいかげんに塗りつけてあったために透けて見えた下地と焦げ目とが渾然となって、遠目にはちゃんとしたピザに見えたにすぎなかったのである。つまりは、面積にして半分以上が部分的にトマトソースの付着した焦げ目のあるナンみたいなものにすぎなかったのである。タバスコでもあれば無理矢理食ってしまうところだが、それもここには無い。少ないトッピングをフォークでこそげ落として食べた。生地のところは残した。なお、ピザは大きくて且つ焼く前の生地のときと変わらないくらいふにゃふにゃだったからプラスチックのナイフとフォークで切って食べたのだが、その結果、発泡スチロールのお皿はナイフによってこまかく切り刻まれてしまったのだった。
 ⑦ コカコーラ。これはちゃんとコカコーラの味がしたから、○。ただし量がやたらと多い。大きな紙コップいっぱい入っていて、しかも氷なんか入っていないから、正味コップの容量分が供給されている。もちろん残した。

7 本場のエクレア
8日。タンタンショップのある何とかというパッサージュを北に抜けて右折した先の菓子屋でエクレアを一つ買った。繁華街にたくさんある菓子屋のウインドーをのぞき込むと、どこの店にも何種類かのエクレアがあった。値段はたいてい8フラン。パリへ行ったらかならず食べようと思っていたのだ。
店のおばさんに、「アン、エクレア、スィルブプレ」と言ったけれど、エクレアという名詞の性別が分からないから「アン」で良かったのかどうか。でもおばさんは「アン、エクレア?」と聞き返してきたからいいのだろう、たぶん。
紙袋に入れてもらって歩きながら食べた。ひとことで言って、日本のエクレアのほうがよっぽどうまい。皮の部分がすでにダメだ。厚ぼったくてごわごわしている。咀嚼すると口の中でぼろぼろになる。しかもどこかに穴があいていたらしく、紙袋の中にクリームが漏れだしてきた。そのクリームは、なにかダマになって変なものが混ざっているような舌触りがする。ちゃんと作ったのだろうか。最後のほうを残して捨てた。

8 カフェのエスプレッソ
今回は2度カフェに入った、最初は凱旋門の近く。ここは足が痛くてどうしようもなく、ただ単に休みたかったのだ。次はオルセー美術館の裏。開館まで40分以上時間があったものだから寒さしのぎに入った。
どちらも文句無くうまかった。日本のコヒー屋でエスプレッソなど頼んだことはないから比較はできないのだが、苦みの濃さと少々の砂糖とが良く調和している気がする。コーヒーというのはちゃんとした味を楽しみながらいただくものなのだということにあらためて気付いた。コーヒー色の苦いお湯をがぶがぶ飲むものじゃないということだ。
オルセーの裏のカフェのお姉さんのフランス語は特記すべき心地よさだった。声が良いことをおいても、抑揚に富んでいて歌を唄っているような話し方をするのである。
ただ、あのエスプレッソカップがいかにも小さすぎ、この点だけは不満だ。値段は12フランと12・5フラン。高いのか安いのか分からない。

<総括>
ロンドンよりもやや旨い。しかし、東京のほうがもっと旨い。

ごった煮カレーの真実

 本格的なカレーを作ろうとして料理本をみると,どれもたいていはみじん切りにしたタマネギを長時間油で炒めることから始まっている。30分とか40分とか本によりけりだが,ともするともっと長時間炒めることが推奨されていたりする。ずっと昔々,カレーを自分で作り始めたころには何の疑問もいだかずにひたすら炒め続けた。でも,本当にそんなに炒めなければいけないんだろうか。
 あるとき何だったかの本を読んでいたら,インドの一般家庭ではそんなことなどせず,そもそも炒めることすらせずブツ切りにした野菜や肉を鍋に放り込んでスパイスを入れて煮るだけだ,などとやたらと投げやりに書いてあるのを見つけた(ニュアンスはちょっと違うかもしれない。良く覚えていない)。それによるとそれで十分にうまいカレーができるということだった。
 考えてみれば,都市部でならともかく,安定した火力が確保できない家庭はインドにはまだまだいっぱいあるわけだ。今でこそ火力があるとしても,これまで何百年もインドの家庭ではカレーを作り続けてきたわけで,そのたびに何十分も野菜を炒められるわけがないではないか。ざっと切ってざっと煮て作り終えるというのが一般家庭じゃなかろうか。
 で,実際にざっと切ってざっと煮てみたところ,それでも十分にうまいカレーができあがった。もちろんカレー粉は固形カレーのモトなんかではなくて,安直ではあるがエスビーの赤い缶詰のカレー粉である。だから雰囲気としては日本風カレーではなくてあくまで<なんちゃってインド風>である。
 タマネギを十分炒めなければ絶妙な甘さは出てこないなどといわれたりもするが,そんなことはない。絶妙であるかどうかはともかく,わりかしうまい<なんちゃってインド風カレー>は炒めなくてもできあがる(と思う)。