一昨年の山登り(再録)

一昨年の7月終わりから8月始めにかけて山登りに行った。鳥倉林道から三伏峠に入り、小河内岳・荒川岳・赤石岳と巡り、ふたたび鳥倉林道に戻って下山するというルートだった。テント4泊に山小屋1泊。全行程晴天続きで空気の透明度も高く、隣の木曽山脈はもとより穂高連峰まではっきりと見通すことができた。
小河内岳から荒川岳手前の高山裏避難小屋までの間は登山者もあまりおらず、ひと気の無い原生林がずっと続く。それはそれで気持ちがいいのだが、熊のテリトリーを示すマーキングがそこかしこにあって、これがちょっと問題なのだ。太い木の1.5メートルくらいの高さから根元までバナナの皮のように樹皮が剥がされ、裸になった木の素肌にわざわざ縦じま模様の爪痕が残されているのだ。あっちにもこっちにも、かなりの数のマーキングが。つまり「ここは私のテリトリーだからね」と意思表示されているその中を歩いているわけだ。
熊避けの鈴は持っておらず、ラジオのスイッチを入れてみても電波の状態が悪くて音が小さく、しかたがないので歌でも歌いながら歩こうかと思って口から出たのが、「ある日、森の中・・・」。
この場所は往復したのだが、行きには無かったマークが帰りには有ったりして、結構びくついた。
驚きをもう一つ。荒川小屋で飲んだアサヒスーパードライの缶が甘かったのである。
体力が無いことは自覚しているので山はゆっくり登ることに決めている。7月のときは鳥倉林道の終点から登り始め、三伏小屋のテント場に幕営して、翌日は小河内岳を通過して高山裏避難小屋に幕営した。かなりのんびりとした時間配分である。高山裏避難小屋で幕営する人はごくわずかで、すれ違う登山者も5名いたかどうか。こんな歳になってテント持って縦走する愚か者もいないように見受けられた。
で、高山裏避難小屋から先である。ここからが大変で、筆舌に尽くしがたいというか書くのが面倒というか、実際に行ってみてほしいというか。荒川前岳直前のカールをほぼ直登するのが何とも言えずくたびれた。荒川前岳から赤石への分岐にザックを置いて荒川中岳と荒川東岳(悪沢岳)を往復した。そしてその日の幕営予定地である荒川小屋まで歩いたのだった。
テントを張って一息ついて、缶ビールを小屋で買って飲んだ。いくつか銘柄があった中で、選んだのは娑婆でいつも飲んでいるアサヒスーパードライ。のど越しのいいことだけが取り柄というビールで、実のところ味も素っ気もないビールである。全身くたくたという状態ではなまじ味わい深いものよりも喉にさわやかなビールのほうがいいなと判断したということもある。
ところが、一口飲んだ瞬間驚いた。甘いのである。ただ甘いのではない。糖化した大麦の甘さなのだ。麦飴の甘さ。麦芽に含まれる酵素によって大麦の澱粉を糖化し、ビール酵母が嫌気性呼吸することによって糖分からアルコールが造られるわけで、甘さなど残らないはずではなかったか。
のど越しだけに脳があるスーパードライを甘く感じるとはどういうわけか?とりあえず利用可能な体内の糖分が極めて少なくなっていたことだけは確かだろう。

大阪市長から在日米軍への勧め(再録)

 タテマエ抜きの話が流行っている。話題は橋下が米軍に勧めたという例の風俗営業である。
 橋下が利用を勧めたのは、ソープに代表される店舗型性風俗特殊営業とデリヘルに代表される無店舗型性風俗特殊営業と思われる(と言うか、これ以外あまり考えられない)。
 で、タテマエ抜きでの話である。どちらにおいても売買春がおこなわれていることは公知の事実である。風営法制定時や改正時の国会論議の議事録を訳あって全て読んだが、トルコ風呂での売春の実体とそれへの対処の苦労が議論の端々ににじみ出ていて、それはもう大変面白かった。風俗店ではないけれど、飛田や松島や信太山を擁する大阪の人、しかも元大阪府知事、現大阪市長ともあろう者が風俗店の実態を知らないはずもない。
 かたや米軍も馬鹿ではない。日本のソープやデリヘルがどういうものか、もとより承知のところである。維新の会の共同代表且つ現職の大阪市長から買春を勧められたのだから、米軍もさぞや驚いたことであろう。絶句した顔が見たかった。
 面白いのは橋下のその後の言い分けである。大要、「風営法のもとにおいて合法的に営業がおこなわれているものの利用を勧めただけだ。買春と解釈されたのなら相手方の受け取り方という文化差への配慮が足りなかった」だと。
 タテマエ論の見本みたいな話である。我が国では売春は禁止されており、勧めたのは風営法で認められた営業?そうではなかろう。タテマエで話をしないでほしい。橋下が勧めたという風営法で認められた営業のその実態は、まぎれもなく売春営業である。タテマエを抜きにすれば両者間には風俗営業の実態への共通認識が存在するのであって、絶句されたのは相手方の受け取り方という日米の文化差などではなく、公職にある者から公の席上で正面切って買春を勧められたからである。
 一方ではタテマエで話をしないという耳障りの良い言葉で攻勢的に発言をし、他方ではタテマエ論を前面に立てて縷々弁解する。我が国ではこれを「二枚舌」と呼ぶ。

赤毛のアン

『赤毛のアン』はおもしろい。それはさておき、アンは性格がヘンだ。ヘンなところが気に入って、一昨年『アンの青春』『アンの愛情』通しで3回読み返してしまった。最初は村岡花子訳を読みかけたのだけれど、いささか訳が古めかしい。少女のセリフにしては違和感がありすぎたので、松本侑子訳に乗り換えた。文句なくすばらしい。訳者による朝日カルチャーセンターでの講義まで聴きに行ってしまった。シリーズ3巻目まで出ていて、現在4巻目の翻訳作業中とのことである。早く出ないかな。
 ところで、1006093_262445870603392_6620185373810126490_n

10170865_262446160603363_8926593533447526969_nどうして『赤毛のアン』と『アンの愛情』がどちらも2冊あるのかというと、懸賞に応募して当たったのですよ、松本侑子さんのサイン入りの文庫本が。

修理が終わったテープデッキ

 修理センターから先日帰ってきたテープデッキ。こういう古い機材でもきちんと修理してくれるのだからTEACはすごい。某世界的有名メーカーなんて数年で修理打ち切りだからなあ。トランジスタも取り替えてくれた。今となってはさすがに全く同じというモノは存在していないため、代替品(規格が似たようなものという意味か)にならざるを得なかったようだが、これはいたしかたない。いろいろな部品も交換されてけっこうな出費になってしまったけれど、元通りの音で鳴ってくれている。ちなみに、某世界的有名メーカーに見放されたダブルカセットビデオデッキは八王子方面の修理専門店に先日持ち込んでなおしてもらった。電話で相談したら、「あ、なおりますよ」というふたつ返事だった10171674_262443970603582_4873642249039735869_n

淫風宣揚のデモンストレーション

 ネットのニュースを見ていたら、台東区にある吉原という場所で「花魁道中」なるイベントがおこなわれたと書いてあった。
 それを報じる記事を引用すると、まずタイトルが「現代に蘇る「花魁道中」 “主役”は地元の大学院生〈週刊朝日〉」とある。週刊朝日での報道らしい。記事の中身はというと、
「・・・美しくも着飾った花魁が、禿(かむろ)や振袖新造などを引き連れ、吉原を優雅に練り歩く花魁道中は、客以外にも、沿道の多くの人の心を惹きつけた。その優美な姿をひと目見ようと、たくさんの見物客が詰めかけたという。」
 なるほど。そういう花魁道中を再現したわけで、
「花魁の中でも、高嶺(たかね)の花である太夫は別格の存在だ。太夫の役を務めたのは、地元の大学院生の・・・(23)。もう4回目になり、堂々とした足さばきを披露した。
 歩道には、たくさんの見物客。時代を超え、多くの人を魅了する花魁。江戸の世も花魁道中見たさに集まる人々の様子はこんなふうだったのだろう。」と結ぶ。それにしても女子大学院生が太夫役か。
 たしかに花魁道中はきらびやかだったんだろうね。オバマが来たときも銀座に人が集まったというけれど、記事によると何だかそれ以上に文化的な見世物に読めてしまう。物見遊山が大好きだった江戸時代の民衆の健全な好奇心の対象って感じ。人々がそんなに見たがるような誇らしいものなんだったら、文部科学省(だっけ?)推薦の日本文化遺産的なお墨付きでも与えればいいんじゃなかろうか。いや世界遺産立候補はどうだ。でも、そうか?
 なにしろ、人身売買の犠牲になって自由を剥奪された売淫婦の中からいちばんの美人を選び出し、きんきらきんの衣装を着せただけでは事足りず、頭にはかんざしを目一杯突き立てて、足にはギクッてしたらどうするんだと心配したくなるような塗り下駄をはかせて八文字に練り歩く。前後には提灯を下げた花魁が付き従い、新造はでっかい傘を差し掛け、禿もひっついて歩く。遊郭の番頭さんもご一緒することはもちろんで、先頭をきってのし歩く鳶の頭は手にした金棒を突き突き警護に当たるのが本来の花魁道中だ。
 なんだかものすごいことになっているけれど、こういう売淫のデモンストレーションが花魁道中である。要は、集まった群衆を前にして、「わずか○○円均一でこういう美女の貞操を自由にできるのだ。さあ、早く登楼して思いのままに姦淫せよ。○○円を支払ってこの女を玩弄せよ!」とアピールしまくる淫風宣揚の大デモンストレーションである。「多くの人を魅了」と記事は書くけれど、それってどういう意味だ? つま先だった見物人男子が一人残らず目玉を真っ赤に血走らせたってことか? で、その視線の先にさらされるのが足さばきも堂々とした四回目参加の女子大学院生。そんな汚眼で見られて将来は大丈夫か? そんな情景をいっぱしの文化行事がおこなわれたかのように報道する週刊朝日、大丈夫か?

パソコンを新しくした、ら

 仕事で使っていたパソコンが先日壊れた。パソコンがないと仕事にならないので、しかたなく買い換えた。そしたらOSはWindows8だった。
 これがまた使いづらいことこの上ない。OSなんていうのは陰で働いてくれればいいのであって、使い勝手のうえで個性を発揮してもらっては困る。アプリケーションソフトが調子よく動いてくれればよく、OSの基本設計を大幅に変えてもらう必要なんてどこにもない。WindowsなんてものはXPで結構だ。趣味や遊びで使っているのならともかく、普通の企業がこんなOSに一斉に転換しなければならなくなったら業務にひどい支障が起こるぞ。

保育園のカレー(再録)

 最も古いカレーの記憶というと、保育園の給食で出てきたカレーである。味までは思い出せないものの、美味かったという記憶がなんとなくある。そしてお昼の時間にみんなで食べている情景と音を思い出すことができる。
 その保育園のお昼は、ご飯だけを家から弁当箱に詰めてきて、おかずは保育園が出してくれるというものだった。うちは白米のご飯。そのころは麦飯の子もおおぜいいた。押し麦の茶色い中心線が面白くて、真っ白な自分の弁当箱が物足りなかった記憶がある。なかでも良く遊んだゴツい顔の子が持ってきていた茶色い醤油飯(「ショイメシ」と発音していた)はこっちの白いご飯よりも魅力的に見えて、食べたくてしかたがなかった。醤油をかけたご飯ではなくて、醤油の炊き込みご飯のようなものだったと思う。何度かその子に作り方を質問したのだけれど、答えは要領を得ないというか、言葉の意味がわからず残念ながらまるで理解できなかった。母親に作り方を伝えた記憶もあるのだが、一度も作ってはくれなかった。
 保育園の給食で出てくるのは温めた牛乳とおかず一品で、牛乳は給食のおばさんが各園児のカップに注いでくれた。アルミのカップの子もいれば合成樹脂のカップの子もいた。たしか自分のは最初はアルミでできた薄い水色のカップで、途中から緑色の合成樹脂のカップに変わったと思う。アルミのは飲むときに唇が火傷しそうなほど熱いのが嫌だった。
 メインのおかずで覚えているのが、カレー、そして茄子の煮物である。年度の途中入園だったため、集団でお昼ご飯を食べるというのは初めての経験だったから、どのように振る舞うべきかわからず、周囲の園児の食べ方をひたすら真似していた。
 カレーの食べ方というのは、カレーがよそられたアルマイトの丼に弁当箱のご飯を全部ぶち込み、それを匙でガチガチと突っついてから食べるというものである。覚えている音というのはこのことで、つばき組の園児全員がアルマイトの器を匙でひたすら「突く」から、それはもう教室全体にものすごい盛大なガチガチ音が響くのだった。大人になってから考えれば突っつくのではなくてかき回すほうが効率がいいわけだが、当時は考えつかなかった。ただガチガチ突きまくっていた。
 さて、これを放置しては食器が傷む。保育園としても困ったのだと思う。「カレーを弁当箱のご飯にかけて食べよ。その逆は許されない」と園児に向けて発令した。アルマイトの丼の底を詳細に観察するほどの問題意識は無かったから実際のダメージはわからないけれど、おそらくは酷い状態だったのではないかな。保育園児の力といっても、相手はたかだかアルマイト。そりゃ傷だらけにもなろうさ。
 このようなわけで、これが最も古いカレーの記憶である。カレーの丼にご飯を入れて突っつくというのがとりわけ印象的な記憶として残っているのだから、自分の家では別の食べ方をしていたのではないかと想像されるが、覚えていない。
 茄子の煮物のことを言うと、大学を卒業してからも茄子が食べられなかったのは、この保育園の給食のせいである。とにかく苦くて苦くて不味かった。この茄子が食べられない子が数人いたが、食べ終わるまで席を立つことは許されなかった。どうして他の連中はあんな茄子を食べられるのか不思議でならなかった。今でこそ茄子は好物になっているが、これは長じてからの精進のたまものであって、あの保育園での体験さえなければ数十年間の茄子欠損人生をおくることは無かったはずである。
 保育園も反省したのか、今では結構まともな保育実践をおこなっている。

きゃりーぱみゅぱみゅがいいと思います(再録)

 きゃりーぱみゅぱみゅがいいと思います。
 私たちおじさんには歌う歌が無いと唄ったのは小沢昭一だったが、その度合いはさらに増してきた。ここ20年くらいテレビで流れてくる歌を聴いていてすぐに意味が判ったことってなかったような気がする。以前のお涙ちょうだいのビンボ臭い演歌は聴いていて意味が判らなかったことはない。ま、解釈に諸種の意見はあろうが、少なくとも意味をなす言葉として耳には入っていた。旋律ものったらまったらしてついて行けた。
 ところが20年前くらいからそうじゃなくなったのだ。抑揚をもった歌詞であることは理解できても、その音の連続が意味をもった言葉の連なりとは理解できなくなってしまったのだ。ぶっちゃけ、何を唄っているのかわかんない。
 で、きゃりーぱみゅぱみゅにはほっとさせられる。少なくとも言葉として耳に入ってくる。意味は・・・というと、良くわからないところは多いのだけれど、つけまつける・キャンディキャンディはわかるし、いい。ポンポンポンは解釈が難しい。いちばん好きなのはチェリーボンボン。落ち着いた曲でいい歌詞だ。振り付けもいいな。
 首をかしげたのはきゃりーANAN。全体としてはきゃりーぱみゅぱみゅらしいとてもいい曲なのだが、歌詞の中に「あれもこれも欲しい、はたらこ」というところがあって、これはいかがなものか?バイトをめぐる昨今の事情ってこんな脳天気なものじゃないよ。多くがその日の生活で必死。正規雇用がどんどん少なくなっていて、その分不安定雇用がばんばん増え続けている。毎日の生活も将来への展望も奪われたというのがバイト事情だけどね。アルバイトニュースがスポンサー(?)だからしょうがないのかねえ。
 それはともかく、ちょっと前の朝日新聞のたしか3ページ目に外国で人気のある日本モノっていう一覧表があって、第1に歌手きゃりーぱみゅぱみゅ、第2にアイドルAKB48とあった。そうなのだ。きゃりーぱみゅぱみゅはアイドルではないのだ。なんだか、自分の娘が偉業を達成したかのような誇らしい気分になった。
 というわけで、きゃりーぱみゅぱみゅがいいと思います。  

ブログ再開

 ようやく事務所ブログの再開にこぎ着けることができました。これから不定期的に書き込みを始めます。以前の記事はブログ上から全て失われてしまいましたので、とりあえずは以前のデータからの再録から。再録は再録と表示しますので、面倒がらずにお付き合いくださいませ。

キーストーン法律事務所の「理念」

私どもは、21世紀という大海に一石を投じ、法の理念である自由と正義を希求すべく2002年3月にキーストーン法律事務所を開設し、現在、菅原哲朗、 黒澤計男、柴田亮子、久保田祐佳、伊藤朝日太郎の5名の弁護士をメンバーとしております。
 各弁護士は、これまで実務経験や取り扱い事件など、専門分野を異にしており、所内でのチームワークにより紛争解決(建築、医療、スポーツ、知的財産、人身賠償、入管法など)、企業法務、身分家族法、外国人案件などに取り組んでおります。
 2011年3月、東北大震災の影響は少子高齢社会に向かう我が国の経済界、司法界に及び、新たな法化社会への構造改革は極めて速いスピードで進んでおります。我が国のみならず東アジアの諸国を取り巻く国際社会の緊張ある変化は新たな法律問題を不可避に生じさせます。
 とりわけ情報通信技術の発達にともなう国境を越えたグローバル化によって、国内外の企業活動や個々人の生活においても新たな法的紛争解決及び紛争予防が一層重要となっています。
 共同事務所として老壮青のパートナー同士のノウハウを共有することによって、中小企業から個人まで多くの市民の委任を受け、より質の高いリーガルサービスを提供しております。
 隣接士業たる公認会計士、弁理士、税理士、行政書士、司法書士、及び国外の法律事務所、会計事務所などとのネットワークをより強化すると共に、皆様方へ法律事務所としての情報提供にも意欲的に取り組んでまいります。